対岸の森

翌朝、まだ薄暗い中用を足そうとAさんがテントを出ると、Bさんが川の中にぼーっと立って、対岸の森を見つめている。
夏とはいえ、冷たい山の水に腰まで浸かっている。
酔っているのかと心配になったAさんは近付きつつ声をかけた。

「おい。」
振り向いたBさんの顔はこの世のものではなかった。
目や鼻、口らしきものはあるのだがどれも配置がめちゃくちゃで、それぞれがコーヒーに注いだミルクのように顔じゅう入り乱れていた。

これはBではない。Aさんの全身から汗が噴き出し、吐き気がこみ上げた。
「それ」はそのまま川の奥へ進んで行き、水中へ沈んで消えてしまった。
溶けた目が、沈む瞬間までAさんを見据えていた。

Aさんが慌ててテントに戻ると、熟睡しているBさんがいた。
その川は、一番深いところでも胸の深さまでしか無いのだという。

山にまつわる怖い話63

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