ネズミの手袋

江戸時代は基本的に農民は土地に縛りつけられていて移動の自由は無かった。
だが重い租税にねをあげたり、飢饉などで土地を放棄して流民化する百姓がいた。
こういう者らが逃げる先は山がほとんどだったらしい。

では、山に逃げれば生き延びられたのか?
どうもそれほど簡単では無かったようだ。
第一に山野は奉行が置かれて幕府と各藩の管理下にあったことと、流民化した農民が逃げ込む山には、そこに生きる山の住人がすでに居たからだ。

うちは明治末までは船大工をやってたが、幕末から明治にかけては山が荒れて大変だった、ときいた。
維新以前には、逃亡農民などが目立って山に増えてくるとどうしていたのか、親戚のじいさまはネズミの手袋だと言った。

次から次へ来られても山では養えないから、水準を一定以上超えると怖いことになると、藩によってやり方は様々なのかも知れんが、うちの地域では遠回しなお達しが、お侍→村の有力者→山の有力者の間でやり取りがあって、要は人間狩りをする。

冬をこえても生き延びてるのが増えると、どうしても山の資源が荒らされて困る。
気乗りしなくてもやらなくてはという状態だったらしい。

夫婦者で山に来た奴は子供生んでる場合もある。
子供は助命されて炭焼きのおっさんに育てられたなんて少しは救いのある話も残ってるが、育った子をおっさん嫁にしてるからな、光源氏だよな。
あまりいい話しでもないか。

山にまつわる怖い話64

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