般若

誰に聞いても分からなかった不思議な少年の話

小学5年の頃、それまでの賃貸から現在の持ち家へと引っ越した。
通っていたA小学校は変わらなかったが新居はA小学校区最遠方のエリアとなってしまった。
そこは元々果樹園等が点在していたが、ベッドタウンの人口増に伴って再開発が進んでいた。
なので真新しいアスファルトで区画整備された宅地と古くからある木造の民家、そういう新旧が入り混じったカオスなエリアとなっていた。
多くの級友にとっては未知の領域で俺が移り住んだことをきっかけにあちこち探検に行くようになった。

家の近くでは立派な4車線道路の工事が進んでいて、このバイパスが隣のB小学校との境界。
その道沿いのすぐ傍に鬱蒼と茂った獣道があり、そこを抜けると不気味な巨大廃墟が見えてきた。
パッと見で築50年以上は経過、頑丈な鉄筋コンクリート二階建て。
大きさは学校の体育館を二回りほど小さくしたサイズで元は病院かと思うような造り。
正面入り口や一階の窓なんかは当然のように塞がれているので普通には潜入できないが、こんなものを見せつけられて好奇心の血が騒がない男子はいない。
誰からともなく「中へ入ろうぜ」「まず外側一周してみよう」ということになった。

とりあえず外壁に沿って歩いてみたが雑草、クモの巣、無数の虫の攻撃が行く手を阻む。
それだけじゃなく朽ちた木製パレットや一斗缶、ペール缶といったゴミが散らばっていて、一部の容器にはヘドロと化した得体の知れない物体が残っているものもあった。
この時点で陽は西に傾きかけていたので今日は諦めて日曜にじっくり探検をという話になった。

チャリに跨って解散という時、ふと人の気配を感じたので廃屋を見上げてみた。
すると屋上に俺らと同世代ぐらいの少年がいてフェンスに身を乗り出して手を振っている。
逆光なので顔立ちまではよく分からなかったが、その雰囲気からB小学校の生徒だろうと判断。
小規模な学校に通っていたから同学年の名前や顔は全員覚えているし、±1年の者も見覚えがあるレベルまでは判別できる。
あの背格好はどう見ても小学4~6年生、でも俺らの誰一人として知ってる者がいない。
だからB小学校だという結論に達した。

「そこ(屋上)上がれるのー?」俺らの内の一人が聞いてみた。
「上がれるよ、おいでよー」
「どこから入るのー?」
「そっちをグルっと回ってハシゴ上るんだよー」
少年が指さした方は先ほど俺らが一度はトライして引き返してきた所だ。
本当に上がれるのであれば確かめたい気持ちもあったが半信半疑なのでやめた。

──日曜日
朝飯を食って我ら探検隊が集合し、あの廃墟へ向かったら先客がいてワイワイやっていた。
どうやらB小学校の連中のようで一目見た瞬間、互いに他校の生徒だと気が付いた。
ここが公園やゲーセン等であれば男子の縄張り意識からすぐにケンカへと発展するもの。
事実両小学校の一部、とくに野球やサッカー少年団に属していた者は争いが絶えなかったそうだ。

しかしここは両校にとってアウェイと言っても過言ではない僻地。
目的が同じと分かるやすぐに意気投合した。
俺と同じくバイパス沿いの新興住宅街に最近越してきてたまたま見つけたとのこと。

するとB小学校の一人が奇妙なことを言い出した。
「こないだA小学校の生徒が屋上から手を振っていた」と。
なぜA小と判断したのかは上と全く同じ理由で、B小の誰も知らない少年だったから。
逆光だったので顔は不明、でもあの背格好は高学年だろうという点まで共通していた。

「実は・・・」と今度はこっちが話を切り出し、俺らはてっきりB小だと思ってたことを明かした。
じゃあうんと離れたC、D小学校かとも思ったがその可能性は低い。
男子の本能で明らかに縄張りじゃないエリアでは大人しくするのが普通。
余所者がバスで移動するほど遠方から来て屋上に上がって手招きをするとは考えにくい

とにかく中に入りあわよくば屋上に到達しようと即席でA小B小連合軍が結成された。
前回屋上の少年が指示したのと逆の方を目指していたら建物に隣接したポンプ室があった。
詳細は割愛するがこのポンプ室伝いに廃墟の内部へ潜入することに成功した。
物件はもぬけの空で備品がほとんど無かったため元が何かは不明だがやはり病院と思われる。
一階は普通の荒れ具合で手を加えれば再利用できそうな程度。
問題は二階で廊下から屋上への一帯が、今にも煙の匂いが漂ってくるかの如く真っ黒に焦げていた。
屋上へ通じる鉄の扉は熱で変形したのか、子供が押しても引いてもビクともしない。
「まあ今日は初めてだから内部をしっかり調査して、いずれ屋上を目指そう」
そんなことを言いながらあちこちうろつきつつも、実は頭では全く別のことを考えていた。

後日A小学校だけのメンバーが集まったとき、「やっぱ先に屋上に行った方が勝ちだよな」
これも男子の本能だろうか、頂上を制覇した者がそこのボスであるという不文律。
しかも俺らが見た屋上で手を振っていた少年はB小ではないという。
何処の誰かは分からないが、少なくともB小より先に縄張りを主張することはできる。
俺らがそういう結論に達したようにB小の連中もきっとそう考えているに違いない。

──数日後
午後の授業を終え、いつものA小メンバーが廃墟へ向かう。
この日はB小は来ていなかったようだ。
少年の発言によると建物に沿ってガレキをかき分けながら進み、ハシゴを上れば屋上に行けるようだ。
しかしそのハシゴというのが外壁に固定された20mmΦほどの細い鉄骨で真っ赤に錆びている。
外壁との固定アングルも頼りなさげで、どう見てもガキ一人を支えるのは無理。
遠目に見てもこのハシゴはアウトと判断した。
他にあてもない俺らは前回同様内部を隈なく探索するも特に新たな発見は無し。

夕陽が建物を赤く染めそろそろ帰ろうかという頃、屋上の少年が再び表れた。
一体いつどうやって到達したのか。
我々が内部にいたとき物音立てずに気付かれないように外ハシゴを上ったというのだろうか。
「みんなもおいでよー」
初めて会った日と同じように逆光で顔はよく見えない、しかし同じ背格好同じ仕草で手を振っている。

「きみどこの小学校?」
「・・・・」
「どこから来たのー?」
「・・・・」

こっちの問いかけには応じない。
数秒の沈黙の後、少年はこのように答えた。
「上においでよ、来たら教えてあげるー」
そうは言ってもそろそろ帰らないと怖いおかんが待っている。
この日もミッションは達成できずに帰宅。

ここで我々は一つの仮説に辿り着いていた。
あの少年が現れるのは決まって夕刻。
ならばその前から外で待機し、少年の行動を見ていれば良いのではないかと。
なので今度の日曜は昼飯を食ってから午後に集合しようと決めた。

──日曜日
14時頃、現地に集合したらB小メンバーの一部がいた。
A小メンバーに言っておきたいことがある、ここに来れば会えると思っていたと神妙な顔をして語り始める。

案の定我々が予想していた通りB小メンバーも先に屋上の到達を目指していたとのことだ。
俺らが行ったのとは別の平日のある日、事件が起こった。
その日の夕刻も屋上に少年が現れ、誘われるがままにB小メンバーのX君がハシゴを上ろうとした。
ところが中間ぐらいに達したとき、ハシゴが壊れてX君は落下。
幸い軽い打撲だったので2,3日休んだだけで済んだけど、親や教師には大目玉を食らったとのこと。

そのX君曰く、落下した直後に苦痛に悶絶しながら屋上を見上げ初めて少年と目が合ったそうだ。
いつもは逆光となる東側から屋上を見上げていたけどこのときは順光の西側だった。
それは普通の少年とはおよそ縁遠い、まるで般若のような怒りに満ち溢れた表情に見えたという。
その般若が屋上からX君を見下ろし、獣のような声で「残念・・・・」と呟いたとのこと。
他のメンバーは心配そうにX君をのぞき込んでいたから般若の存在に気付かなかったんだと。

俺らA小が近づかないようにB小が嘘ついてるのかと一瞬疑ったんだが、現場を見るとたしかにハシゴの鉄筋が一部歯抜けになっている。
下が雑草だったからまだ良かったものの、ガレキと衝突したらきっとただでは済まなかっただろう。

そんなことがあってからというもの廃墟探検ブームはすっかり去ってしまい、気が付いた頃には全てが再開発され、あたり一帯は普通の住宅街となった。

中学に進学したらあのB小メンバーのX君もいた。
その後、彼だけが不思議体験をするようになったという。
と言っても大した内容ではなく、廃墟のあったところに一件の普通の民家が建っている。
たまに近くを通ることがあり、そのお宅を見上げると時々般若が浮かんでいるとのこと。
とはいえそこに通じるルートもないから「上がっておいでよ」と誘うこともできず、困った表情に見えるとか。

不可解な体験、謎な話~enigma~ 106

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