降霊陣

これから僕が書くことは、むかし出版社に勤めていた親父がある人に書いてもらった体験談ですが、ある事情でお蔵入りになっていたものです。

できることなら、霊だとかそういうものには二度と触れずに、このまま後生を過ごそうと思っていたのですが、ここに記すことによって、あの頃の私のような向こう見ずな人々を自粛させる事ができるのなら、あの時の償いができるのではないか、またこの忌々しい傷跡が消えるのではないか、と思ったしだいであります。

1979年8月14日の事です。
私は21歳で、若さと好奇心にあふれる学生でありました。
その年の5月3日、私は中学時代からの友達であった井上、村山、井出(すべて仮名)とともに、実家からそう遠くはない、UFOが出没することで有名な山に登ったのですが空振りに終わり、「今度こそは」という想いでこの調査旅行を計画いたしました。
しかし、何を思ったのかUFOが現れなかった時のための二足のワラジということで、当時流行っていた降霊陣というものを、左の腕の付根(ちょうどBCGのあたり)に描いていったのです。

20時に実家近くで彼らと落ち合い、私の運転する車で南に走ること2時間、当時バイトの先輩に教えてもらったとある村へと辿り着きました。
その村というのは私の母方の祖母の村の隣、といっても海抜では1Km近くも上にあり、当時その村に登るための道は2本しかありませんでした。
そのうちの1本が私の祖母の家の前を通る道なのですが、道幅は2M程しかありませんし、もう1本の道よりも山奥に入ったところなので、ほとんど利用している人はいません。

私達は休憩がてらに祖母の家に入ったのですが、(祖母はすでに亡くなっており、祖父は母の姉が引き取ったため家は事実上空き家。
 鍵はどうした、思われる方もいるでしょうが、昔の家の扉は心張り棒をかましているだけなので針金で簡単に開きます)
もちろん駐車場などはないので(家の隣には空き地があるのですが、昔から住人が病気になったり、商売に失敗したりなどで持ち主がころころと代わる、いわく付の土地だったので)こんな夜中には誰も通らないだろうと思い、車を道に止めたまま缶ビールをちびちびと飲み交わしていました。

この家は真正面(出入り口)と真後ろを山に挟まれているのですが、真正面はすぐに道路になっており、道の向こう側にぽったん便所と五右衛門風呂があるのですが、その隣にはお墓があるために、日が暮れてからトイレに行くのは少し勇気がいることなんです。
そのうえ、その頃には上の家も下の家も無人になっており、外灯もほとんどなく、明かりといえば山の切れ目から見える満天の星空だけなのですが、生憎の曇り空で辺りは闇に包まれていました。

ちょうど1缶目を飲み終えた時、村山が小便に行くと言い、靴をはき出ていきました。
と同時に駆け込んでくるやいなや、バシンと扉を閉め、心張り棒までかけてしまったのです。
あまりの彼の激しい行為に、こちらも不安になりなりました。
肩で息をついている彼をなんとかなだめ、「なんかあったん?」と聞くと、彼は青ざめた顔で「そっ、そこの・・・電柱の・・・所に人が・・立ってた」と、歯をガタガタさせながら言うんです。

もちろんこの場所では、この時間に人がいることはいささか奇妙ではありますが、「あれは絶対幽霊やと思う・・・なんかボーッと光ってて、輪郭がはっきりしてへんかったんや」と言う彼の言葉に恐怖を感じ、誰も確認には行けなかったんです。

「ほら、なんかの宗教か何かで、白い服着て、ほら貝持ってる奴らおったやん。あんな感じのおじさんやねんけど、真っ直ぐこっち見とって目合ってもおた」
彼の説明を聞きながら、昔祖母や母から聞いた話と照らし合わせてみましたが、そんな人は何処にも出て来ません。
話し合いの結果、明るくなるまではこのままここに居ようということになりました。

初めのうちは皆怯えを隠せず、物音なんかにも過敏に反応していましたが、時が流れ、酒が入ると、しだいに冗談を言っては笑い声が漏れるくらいになりました。
しかし、時刻が2時を少しまわったときです。
出入り口とは反対側の山側の部屋の窓が、コツ・コツ・コツと叩かれる音が聞こえてきたのです。

山と家との間には深い谷がありますので、人の仕業によるものではありません。
私は震える友達を安心させるために、「どうせ蛾か何か虫がぶつかってるだけやって」と言ってはみたものの、それはあまりに規則正しく何度も何度も繰り返されたため、『何か』によってなされているものだと確信いたしましたが、歩いていってカーテンを開けて確認するほどの勇気は持ち合わせてはいませんでした。

今日はなんて日や、と思っていると、その時にようやく降霊陣のことに気付き、みな台所で洗い流しましたが、窓を叩く音は止むどころかますます激しくなりました。
それどころか唸り声のようなものまで聞こえてきます。
それはなんというか、まるで火あぶりにされている人が放つ断末魔のようで、はっきりとは聞き取れませんでしたがこんな風に言っていました。
「なんで、はなしたんや。何でやぁ」と。

薄い窓ガラスでありますから、このままでは破られてしまうのではないかと思い、ここから離れようと決意し、私は皆のポケットにあるものを詰め込みました。
「ええか、いち・にの・さんで扉あけたら、いっきに車に乗り込むで」
エンジンがかかるまでの一瞬がとてつもなく長く感じられました。
エンジンがかかるとアクセルを目一杯踏み込み、走り出しました。

どうらや幽霊が憑いてきている様子もなく、このまま山を登り続ければ20分たらずで当初の目的地の村に着くはずだったのですが、どこをどう間違えたのか、車はすっぽりときりひらかれた場所にでたのです。
草がひざ下くらいにまで伸び、長年ほったらかされているようでした。
左手は山で奥と右手は崖になっており、まるで袋小路のような所でした。

そういえば昔祖母から、このあたりに戦時中に使われていたヘリポートがあると聞いた事がありましたが、どうやらここがその場所のようです。
しかたがないので引き返そうと思い、Uターンするために車を山側まで進め、バックしようとしたのですが、ギアがチェンジできず、しばらくカチャカチャやっていると、突然車がスルスルと後ろ向きに、まるで引っ張られるように谷に向かって進んでいるのです。
とてつもない恐怖に焦りながらも、何とか私たちは車外に飛び出すことができました。

ガラ・ガラ・ガラ・ガラ・・ガッシャーンと、車のつぶれる音がしました。
突然の出来事に呆然としていると、「たすけて」と井上の声がしました。
後部座席に座っていた彼は脱出が一瞬遅れたのでしょうか、今にも崖から落ちそうなところをなんとか草にしがみついていました。
私の思考力はもはやなにも考えられなくなっていました。

他の二人同様、私も腰が抜けていましたが、なんとか井上の所まではっていき、彼の手をしっかりとつかみました。
私は彼に「しっかりせい。はいあがってこい」と言ったのですが、彼は「あかん。あいつにあしひっぱられとる」と今にも泣き出しそうでした。
しばらくこの状態が続きましたが、私も恐怖のためか腕に力がはいらず、徐々に彼の手が抜けていきそうになりました。

正直、「もうあかん」と思い、心の中では彼に謝っていました。
その時、あの男の声が私の耳元でこう言ったのです。「なんでやぁ」と。
すると不思議な事に、私は恐怖よりも「なに糞が」という気持ちの方が強くなり、「絶対井上を離したらあかん、ここで離したらきっとこいつみたいになってしまう」と思い、無我夢中で腕に力を込めました。

しかし、あいつも執念深く、今度は私の腕を肘から手首にかけて、鋭い爪のようなもので引っ掻いています。
血が流れ出しましたが痛みはありません。
ただ、何か彼の憎しみのような、悲しみのような感情が、私に伝わってきたように思います。
そこへ村山と井出がなんとかかけつけてくれ、私が家で彼らのポケットに詰め込んだ塩を私たちの方へふりかけてくれたのです。

「ギィイヲーー」という叫びが聞こえたのと同時に井上の体は軽くなり、ひっぱりあげることができました。
安堵感から体の力が抜け、私達は草の上に仰向けに寝転び、しばらく空を眺めていました。
東の空がうっすらと明るくなりはじめていました。

太陽が完全に昇りきった頃、ようやく私たちも動けるようになりました。
これからどうしようか悩みましたが、地面にはタイヤの跡もなく、こんな話は誰も信じてくれないだろうと思い、
山を下り、バスで帰宅しました。

帰路の途中、とある陰陽師のかたに念のためのお祓いをしてもらったときに聞いたのですが、私たちが腕に書いた降霊陣は月が陰のときには有効だが、陽のときには悪霊を呼んでしまうらしいです。
ただ、その陰陽師が言うには、「悪霊というのは、自分を悪霊にした悪い人間に復讐するために、成仏できずにいるんだよ」ということです。

この一件以来、私たちは遊び半分で心霊スッポトなどに足を踏み入れることをやめました。
誰も眠っているところを叩き起こされたくはないでしょう?
それに、もしそんなことをしようもんなら、あれから十数年たっても消えることのないこの腕の傷が疼きますから・・・

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