空母怪談

空母キティホーク

それは1998年のことで、私は空母キティホークの病棟で勤務していました。

ある日の午前2時頃、
私はデスクで仕事をしてました。
私の背後は狭い通路があって、それは診療呼集(診断・検診を必要とする者を対象に毎日行う呼集のことで軍事用語)エリアに続いています。

私は、その時回診を終えたばかりのところで、ドアは全てロックしてありました。
深夜勤務していたのは、私のほかに3名おりました。
さて、机に向かって事務仕事をしてますと、トイレのドアが開閉する音が聞こえました。
それは同僚か誰かと思い、私は立ち上がって、トイレまで行きました。
さっき私が夜食をとりに行った際に、病棟を見てくれていたかどうかきこうと思ったのです

私はトイレのドアをノックしましたが、返答はありません。
一声かけてドアを開けましたが、そこには誰もおりません。
病棟の方を振り返ると、フライトスーツを着た者が歩いているのが目にとまりました。

「そこへは立ち入りできませんよ」

私はそう言って、その男のところへと歩み寄りました。
トイレのドアから病棟まで、ほんの1メートルです。
でも、どういうわけか男の姿は消えてました。
患者たちが寝息をたてているだけです。

それから1年ほど経った頃です。
夜中に尿意をもよおし、私は寝床から出ました。
すると足元に置いてあるはずの靴がありません。
それで近くにあるロッカーへ行きました。
そこにあるかと思ったのですが、そこにもありません。

突然、全身が鳥肌立ちました。
そして、私の周りでほうきをかけるような音がしました。
私が後ろを振り向くと、いつのまにか自分の寝床の足元に靴がありました。

空母フォレスタル

奇怪なポルターガイスト、船内電話から聞こえる無気味な声、カーキ色の制服を着た男の幽姿…。
近代的な空母が一転、洋上の幽霊屋敷へと変貌したのは、1967年トンキン湾近海での爆発火災事故で137人のクルーが死亡してからだという。

犠牲者の死体あるいは死体の断片は、いっとき船内の食品を貯蔵してある冷凍室に安置された。
「ジョージ」とニックネームまでつけられた幽霊がうろつきまわるのは、主にこの冷凍室あたりである。

幽霊騒ぎが起きてから、この無敵艦隊の猛者ですらそこへ行こうとしなくなった。
下士官のダニエル・バルボアはこう言う。

「私は幽霊は見たことはありませんが、そこで不気味な物音は聞けると思いますよ。私が夜勤していたときに、何かを拾ったり落としたりするような音が聞こえました。周囲を見回しても何もそれらしきものはありません。でも仕事を再開しようとすると、その音が聞こえてくるんです」

バルボアはこんな体験もしている。
冷凍室の温度をチェックして外へ出ると、今しがた閉めたばかりの冷凍室のドアが彼の背後で開いたというものだ。

ドアは自動ロックされるので、鍵もなく自然に開くことなど「ありえない」という。
見てしまった将兵も多い。
下士官のジェームズ・ヒラードは、不審な足音をたどると、そこに「士官クラスが着るようなカーキ色の制服を着た」男がいたという。

ヒラードはその男のいる隔室に入ると

「そこには誰もいないのです。誓って言いますが、この隔室で消えたとしか思えません」。

給食担当官のゲイリー・ワイスも、ポンプ室へ通じる梯子を降りてゆく、同じくカーキ色の制服を着た幽霊を目撃している。

ジェームズ・ヒラードは、また別の怖気だつような体験をしている。
勤務中に、近くにある船内電話のベルが鳴った。
それは回線はつながっておらず使用不能のはずであると思ったものの、受話器を耳にあてた。そこからはかすかに「助けて!助けてくれ!第6デッキにいるんだ!」と聞こえてきた。
確か第6デッキでは火災で死亡した者がいたはず。
ヒラードは恐くなって、受話器を放り捨てて逃げた。

海にまつわる怖い・不思議な話1

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