だいぶ荒れているようだが、俺の体験を語ってみる。
俺が正直怖いと思ったのは、以前、屋久島の原生林の中で、おかしな物を見た時の事だ。
屋久島に幾つかある登山道は、何れも「~歩道」と名がついているけど、実は歩道とは名ばかりで、とても登山道とは思えん獣道のような踏み跡を、かろうじて見える赤テープを目印に辿っていくような道だ。(有名な縄文杉や宮之浦岳への縦走路は除く)
本当は荒廃しているというよりも、植物の生育が異様に早い屋久島特有の生態系のせいで、人通りの少ない保守されていない登山道は、すぐに朽ち果て埋もれてしまうという事らしい。
俺は雨の少ない11月中頃に島を北から南に縦走したんだが、この時は縦走の最後に淀川小屋から「尾之間歩道」という歩道を下って海岸まで降りることにした。標高差1500メートル、時間にして七時間ほどだ。
現在は安房地区から小屋付近まで林道が開通しているので、この歩道をわざわざ使うような物好きな人はほとんどいない。実際、前日小屋に泊まった三人のうち歩道を下る予定だったのは俺だけだった。
この尾之間歩道の途中に鯛之川を渡渉する鯛之川出合という渡渉点がある。
もともと雨で有名な屋久島はどこもそうなんだが、この渡渉点も雨が降ると急激に水かさが増して、激流になる少々危険なポイントだ。
過去には渡渉中の事故で亡くなった人もいる。この時も前夜に雨が降っていて、渡渉できない可能性もあったので、正直引き返そうかと俺は迷っていた。
だが、予報では翌日晴れる事が分かっていて、出合に着くまでに水も引きそうだったので、その日の朝早くまだ陽の上がらないうちに小屋を出発することにした。
問題のポイントまでは、なんとか目印の赤テープを辿りながら進んでいった。
予想どおり道はかなり荒れており、目印を見失って道を外すと一発で遭難しそうなので必死だった。
二時間半ほど進んで、暗い樹林帯が開けてうっすらと明るくなった渡渉点が見えてくると、幸いな事に水は引いており、飛び石を伝って川を渡渉できそうに見えた。
そこで、登山靴を濡らさずに渡れそうな飛び石を探して、川面を左右に見渡していると、水面から顔を出した小さな岩の上に何か赤い物が乗っているのが見えた。
小さな赤い三輪車。普通に子供が乗るようなプラスチック製の華奢な三輪車が、たった今使っていたように、白い平岩の上にちょこんと乗っていた。
よく見ると何故か車輪に例の赤テープが巻いてあって、それが妙に目立っていたが、それ以外は何の変哲もない只の三輪車で、普通に考えて何でこんな物がこんな所にあるのか、意味が分からんかった。
辺りは人が住むような場所じゃないし、上流は原生林でこんな物が流れてくるはずがない。
だいたい昨夜は雨で激流だったはずで、そのあと歩道に入ったのは俺だけだ。
ここまですれ違った人もいない。
どう考えてもありえない状況で、頭の中に複数の?マークが点灯したので、俺は何も見なかった事にして、さっさと渡渉して海岸まで下り町営温泉に浸かりましたわ。
結局、まる七時間近く、最後まで歩道上では誰にも会わなかったんだが、正直うしろから三輪車に乗った何かが登山道をキコキコ追ってきそうで、ちょっと怖かった。
現実的に考えれば、誰かが朝暗いうちに林道を上って来て、俺よりも早く荒れた歩道に入り、水の引いた直後の渡渉点に三輪車を置いて、先に海岸まで下ることは不可能というわけではない。
だが、仮にそんな意味不明な事をする奴がいたとしたら、どういう意図があったのか、そっちの方がよっぽど怖い、と温泉に浸かりながら思った。
ちなみにここの温泉は最高なのでおすすめだ。
山にまつわる怖い話77