よくない人

もう何十年も前のことだけど、俺は鉄鋼業の盛んな街にいたのよ。高校生2年だった。

地元の高校までは市街地を通るとチャリで30分もかかって、それでいつも近道して、道中のかなりの部分を土手を通ってたのよ。
そこの土手は親からは通るなって言われてて、何でかっていうと、危険だからってわけじゃなく、土手の下の3mほどの幅のドブ川の向こうは「よくない人」が住んでる土地だからってことだった。

何が「よくない」のかは、その当時ははっきりとはわからなかった。
ただ、そのドブ川の向こうは真っ黒く壁がすすけたアパートが並び立っていて、住んでるやつらがビンボーだってことはわかった。

で、ある夏の日の放課後のことだよ。5時前くらいにそこ通ってたら、俺の高校でも1・2を争う美人の女子生徒が自転車で前を走ってたんだよ。
驚いたね。
俺が高校に通ってた2年間で、そいつが土手通るのを初めて見たからね。

同じクラスじゃなかったんで声もかけられなくて、黙って後をついていったら、ドブ川の向こうのアパートの窓という窓から、川向うの住人が一斉に顔出したのよ。
そいつらはみな五分刈りで、やっぱりすすけたような黒い顔をしてた。

んで、女子生徒がアパートの横通ろうとしたときに、窓から手を出して、ひらひら振るような招くような動きをしたわけ。
したら、女子生徒の自転車が急に不安定になって、道から外れて土手を転げ落ちてった。
するとアパートの窓々からどっと笑い声が上がった。

あ、助けなきゃと俺が思う間もなく、アパートからわらわらと半裸の男たちが出てきて、泥だらけにになった女子生徒と自転車を、ものすごい手際のよさでドブ川から引き上げた。
で、そいつらが停まってる俺の方を見て、嫌な手振りをして叫び声を上げたんで、俺は怖くなってスピード上げて家に帰ったのよ。

で、その女子生徒は翌日から学校を休んでたんだが、一週間後くらいの放課後に親につれられて学校に来たのをたまたま見た。
顔の下半分に包帯がぐるぐる巻きになってた。
親は高級な車に乗ってて金持ちだと思った。
その子はその後、学校を辞めたみたいで2度と登校することはなかったな。

それから4年くらいたって、俺は別の街で就職してその日は休みで里帰りしてたのよ。
で、俺のチャリがサビサビになりながらもまだ実家にあったから、なんだか懐かしくなってそこの土手を通ってみたわけ。

それでそのアパートのある辺りまで来たとき、ああ、そういえば高校のとき、このあたりで女の子が自転車でドブ川に落ちたよなあ、って思い出してると、アパートの2階の窓が開いて、くしゃくしゃの髪の女が顔出した。

その女が俺の方を指差して大口開けて笑ったんだが、上の歯がほとんどなかった。
で、人相がかなり変わってたけど、それは高校のときにドブ川に落ちたあの女子生徒だったんだよ。

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