メリー・セレスト号

1872年12月5日の午後、英国船デイ・グラシア号はポルトガルの沖で、 奇妙な船を見つけた。

望遠鏡で見てみると船脇に「メリー・セレスト、ニューヨーク」という文字が見えた。
なぜメリー・セレスト号がこんなところにいるのか?
メリー・セレスト号は、彼の船の約一週間前に、イタリアのジェノバに向けて出発していたから今頃は、とっくに地中海に入っているはずだった。

様子をみてくるようにというモアハウス船長の命令で、三人の水夫が船に乗り移り、三人で手分けして船室や船倉を調べたが、不思議なことに乗組員は一人も見あたらなかった。

甲板の下には海水が入り、羅針盤はこなごなになり、帆が二枚だけになっていたが、船自体は充分な航海能力を保っていた。
貨物の工業用アルコール1700樽も、フタの開いた1樽除いてみな手つかずのまま残っており、貯蔵ロッカーにも充分な食料と飲料水があった。

ただ救命ボートが見あたらないので、多分乗組員はみな、それに乗って脱出したのだろうと思われた。

それにしてもよほど慌てて逃げ出したのか、船長室のベッドは乱れたままで、床には海図が散らばり、机にはフタの開いた薬瓶が置かれたままだった。
まるで薬を飲みかけたとたん慌てて飛び出していったようだった。

乗組員の部屋はきちんと整頓され、干し物がロープに掛かり、乾いた衣類は棚にかたづけられており、朝食の最中だったようで、食堂には飲みかけのスープが残されていた。
航海日誌の最後の日付は11月24日で、こう記されているだけだった。

「アゾレス海、サンタ・マリア島の西、約110マイル」

船の機能も、食料や水も充分で、賊に襲われた跡もなかった。
嵐でも起こって船が難破したなら、船長室に、栓が開いたままの薬瓶が中身がこぼれもせずに残り、皿やコップが壊れもせず戸棚にあるのは奇妙だし、船の浸水で逃げ出したにしても、古い木造船なら、10日で三フィートの浸水くらいなら、普通のことでその程度なら簡単にポンプで排水ができたはずでした。

乗組員に何があったのか?

この事件は世紀のミステリーとして世界に知れ渡り、後にコナン・ドイルがこの事件を元にして「J・ハバクック・ジェフソンの証言」という小説を書いたそうです。

海にまつわる怖い話・不思議な話4

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