田所君1

小学生のころ、同級生だった「田所君」(仮名)の話。
長文になります。

田所君とは、小学5年から6年の夏休み明けまで同じクラスだった。
田所君は、かなり勉強の出来るやつだった。

学校の図書館を「根城」(当時は意味が分からなかった)と呼び、本の読みすぎですでにメガネをかけていた。
推理小説が好きで、図書館にある面白い本をいろいろ教えてもらったのを覚えている。

「根暗」「ガリ勉」「メガネ」の三冠王だった田所君。
これだけなら真っ先にイジメの的になるところだが、彼には他の追随を許さない類まれな才能があった。

彼は「怖い話をするのが抜群にうまかった」のだ。
そして、彼の話すべてが彼の創作だった。
今にして思えば、どこかで聞いたことのある話だったり、当時の事件をホラー仕立ての話に改変していた、ということなのだろうが、いかんせん小学生。湯水のように怖い話を語り続ける田所君を誰もが崇敬の目で見ていた。

全ての話を自ら「創作だ」と言っていたことから、よくありがちな「オレは霊が見える」「お前、悪霊がついてるぞ」みたいなインチキ霊感を騙ることもなかった。
「これは僕が考えた話なんだけど‥‥‥」と田所君が話し始めると、教室が一瞬で静かになったものだった。

俺たちクラスメイトは、畏敬の念をこめて「怪談先生グレート」と呼んでいた
(「グレート」と付けたのは、学校の先生よりも尊敬されていたからだ)。
小学生ではよくある意味不明のあだ名だ。
普段は略して「グレート」と呼んでいた。もはや田所のタの字もない。

そんな田所君だが、2回だけ創作ではない話をしたことがある。

5年生だった当時、彼の話に惹き込まれるように、学校(全学年)で空前のホラーブームが巻き起こった。
最初は、怖い話大会のようなものが毎度の休み時間に行われるようになった。
続いて「コックリさん」が流行し、さらに占いが大フィーバー。
放課後は廃屋や墓地に行って肝試し、夜まで帰らない子が続出した。

しかし、この「夜まで帰らない」というのが大問題に発展。
親から苦情が噴出し、さすがの教師陣も対策に乗り出した。
これにより、ホラーブームは一時収束した。

それでも、田所君に怖い話をせがむ子が後を絶たず、さすがに先生たちどころか親にまでにらまれると思った彼は一つ目の「創作ではない話」をした。

その話は、分かりやすく言えば「言霊信仰」の話。

「僕が話をするとき、なんで『これは僕の考えた話なんだけど』って最初に言うか分かる?そういうとさ、みんなは頭の中で『ああ、これは作り話だ』って思うでしょ?実はね、これってすごく大事なんだよね」

いつもと違う語りに、みんな「アレ?」という表情をしていたのを覚えている。
もちろん俺もその中に入っていたが。
そんな俺たちに構わず、田所君は続けた。

「『ことだましんこう』って考え方があってね。字は言葉の霊って書くんだけど、意味はね、すごく強い気持ちで言葉をしゃべると、その言葉が力を持つって意味。たとえばね、たけし君(仮名、超ビビり)はよく冗談で僕に「死んじまえー」って言うでしょ?でもさ、たけし君が本当に本当に僕が嫌いで、憎くて、殺してやりたいくらい恨んでたとするでしょ? そんなたけし君が、僕に向かってそういう思いをありったけ込めて「死んじまえ!」って言ったとする。
そしたらね、たけし君の強い気持ちが言葉に引っ付いて僕のところに来るんだ。そしてね、その言葉が僕に届くと僕は死ぬんだ。言葉に殺されるんだよ」

もうこの時点でたけし君は失禁モノだ。
しかし、他の連中(俺を含め)は「言葉で殺せるわけねーだろ!!」と笑い飛ばした。
当然だ。
もし田所君が正しかったら、毎日が葬式で殺し合いだ。
なんてデンジャラスな学校だ。

「そうならないのは、みんな本気じゃないからさ。まあ、そういう考え方があるってこと。それでね、この気持ちって言うのは、自分のものじゃなくてもいいんだ。他の人の気持ちでもいいんだよ。だから僕はわざわざ『僕が考えたんだけど』って最初に言うんだ」

俺たちはポカンとした。
どういう流れでそうなるのか理解できなかったからだ。

「僕が前話した『人形の群れ』の話は覚えてる?あの話を聞いたとき、どう思った?」

その話は割りと最近聞いたので、みんな覚えていた。

人気の人形で遊んでいるうちに誤って口に入れて窒息死した子がいて、販売元が念のため回収。
しかし回収した沢山の人形には、子供の
「人形を突然奪われた悲しみ」と「もっとこの人形で遊びたい」
という強い思いが焼きついていて、その思いが死んだ子の霊の「寂しい」という怨念と結びつき集合体に。

そして夜な夜な巨大な人形の集合体は元の持ち主の子供の所に行き、「もっと遊びたい」という子供の思いをかなえた後、死んだ子が寂しくならないよう窒息死させていくという話だ。

確かにあの話は怖かったが、結局は田所君の作り話だ。
怖がるとたけし君と同列に見られる、という思いもあり、見栄を張った俺たちは「どうせ作り話じゃねーか」そう言った。

「僕の言いたいのはそこなんだよね。もし『これは実際にあった話なんだけど』って言ったら、みんなはどう思う?きっと、『うちの人形は大丈夫かな』とか『うちに来たりしないよな』とか『捨てた人形が来たりして』とか、不安になるんじゃないかな。だって、本当にあった話なんだもの。みんなの人形がそうならないって、断言できないよね」

誰も何も言えなかった。俺たちの中に、一気に不安が噴出した。
え、あれ本当の話だったの?つーかグレートまじで言ってんの?
もしかしていままでの話全部実話なの?もう混乱のきわみだ。

「ああ、人形の群れは作り話だから安心してよ。でもね、いまみんなが感じた不安な気持ち、これが思いとなって僕の話に力を与えちゃうんだ。一人とか二人とか、ソレくらいだったらきっとたいしたことない。でも、何十人とか何百人とか、沢山の人が不安に思って『本当に起こるかもしれない』って考えたら、ソレが集まってすごく大きくて強い思いになるんだ。その思いが、僕の怪談の『人形の群れ』に引っ付いたらどうなるか分かる?それまでは僕の作り話だった『人形の群れ』が、本物になるんだ。『本当におきるかも』っていう思いが強ければ強いほど、より本物になるんだ。だから僕は、そうならないように作り話しかしないんだよ」

田所君の「創作ではない話」を聞いた俺たちの心は一つだった。
「シャレにならない」。
つまり、怪談話を怖がれば怖がるほど、実際に起こるんだよ、と言われたようなものだ。

今考えれば言霊信仰とは全然関係ない気もするし、これもある意味で創作だったのでは、とも思うが、当時これを言われた俺たちは言霊信仰の真偽よりも「怖がるとマジで起きる」というシャレにならない話に震え上がった。

この田所君の「創作ではない話」は、あっという間に全校に広まった。
そりゃそうだろう、今までなぜ田所君が作り話しかしなかったのか、その理由が明らかになった上、怖がると嘘の話も本物になる、と言われたのだ。
これを機に、学校のホラーブームは完全に収束した。

これが、田所君の「創作ではない話」の一つ目だ。

田所君2

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