太平洋戦争末期、インドネシアを占領していた日本軍は、戦況の悪化に伴って過酷な徴発を何度も繰り返した。
そのせいで、戦争末期には友好的であったインドネシア人たちの間にもかなり反日的な意識が芽生えていたという。
この抗日的意識と民族団結の機運は日本の降伏後、インドネシア独立戦争とスカルノの登場につながってゆくのである。
ひょっとしたらそのことが関係しているかも知れない、戦時中のちょっと不思議な話。
戦時中、体験者はインドネシアのとある島のインドネシア義勇軍の捕虜収容所に収監されることになった。
海のすぐ側に建てられた収容所であったという。
いざ収監室に入ってみると、収監されている日本兵たちの顔はひどく憔悴し、何かに怯えるように肩を寄せ合っていたという。
ただでさえ生きて虜囚の辱めを受けずの戦陣訓が幅を利かせていた時代。
しかも連合軍ではなく義勇軍の捕虜収容所である。
ここの捕虜の待遇はそんなにひどいものか、とその人が驚くと、先輩の捕虜日本兵は「そうじゃないんだ……」とぽつりと呟いた。
その日の夜、体験者がその捕虜収容所で迎えた最初の夜の事だった。
突然、海の方角からドンドンドンドンという太鼓の音が聞こえたかと思うと、あっという間に音が近づいてきた。
瞬間、部屋にいた日本兵たちは「来たぁー」と悲鳴を上げ、パニックを起こしたように一斉に壁の方へ逃げたという。
わけがわからず、呆然と部屋の真ん中に座り込んでいた体験者だったが、次の瞬間恐ろしいものを見た。
突然、巨大な手が収容所の天井からにゅうと生えてきたのだ。
あまりのことに呆然とそれを見ていた体験者だったが、「捕まったら握り潰されるぞ!」という大声に、初めて恐怖を感じた。
慌てて部屋の隅に逃げると、その巨大な手は部屋中を漁るかのようにニギニギと指を動かし、その度に日本兵たちは悲鳴を上げた。
なんだこれは、一体この手は何なんだと恐怖に震えていると、ひと通り暴れた所で突然パッと手が消えたという。
助かった……と思った体験者だったが、また暫くするとあの太鼓の音が鳴り響き、天井から再びあの巨大な手が伸びてきた。
その度に日本兵たちはパニックを起こして逃げ回り泣き叫び、まさに地獄の有様であった。
それは毎夜毎夜必ずやってきた。
結局、終戦からしばらくしてその捕虜収容所は閉鎖され、収容されていた日本兵たちはほとんどが帰国することができたというが、あの手の恐怖は毎夜毎夜必ずやってきて、体験者はその収容所にいる間中、まるで安眠できた記憶がないという。
ちなみに、この収容所の義勇軍兵士曰く、あの手はインドネシアの神であり、だから太鼓の音と共に海からやってきたのだと語ったそうである。
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