私の父親は山好きです。
当然、山関連の友人も多く、私も山へ行く度にそうした方々と話をしました。
そして、その友人の中にAさんという方が居ます。
私が彼と最後に話をしたのは高校生の頃です。
高校卒業後、進学の関係で地元を離れてからは一度も会っていない上、結構な年齢に達していた筈なので今は亡くなってしまっているかも知れません。
Aさんは県内でも山深い山村の出身で、実に色々な話を知っていました。
私にも沢山の話を教えてくれましたが、その中でも印象深い話をさせて頂こうと思います。
Aさんが少年の頃(戦前)、罠を仕掛けては狸や狐、イタチなどの小動物を獲っては皮を剥いで売っていたそうです(当然、今では許されない事だと思いますが)。
そんなある日の事。
Aさんはいつものように仕掛けた罠を見回りに、山へと入りました。
「獲らぬ狸の皮算用」をしていたAさんですが、その日の収穫はゼロ。
すっかり気落ちしたAさんは、元来た道を引き返し始めました。
ところが。『通いなれた道、目を瞑ってでも帰れる』自信のある山道であった筈なのに、周囲の風景がまるで違うのです。
「どこかで道を間違えたのか?いいや、そんな筈は無いんだが…」
Aさんは見覚えのある道を探し始めました。
が、行けども行けども知らない場所ばかり。
そうこうするうちに日も暮れ始めました。
「これはいよいよマズイぞ。下手をしたら、山で夜を明かさないといけない」
何とか元の道に出ようと必死になりましたが、全ては徒労に終りました。
すっかり暗くなった山の中でAさんは途方に暮れました。
ところが…。 耳を澄ませると、どこからか人の話し声が聞こえる。
最初は幽霊か何かと思ったのですが、よくよく見渡せば遠くに灯かりも見える。
「しめた!人が居る!今日はあそこに厄介になろう」
Aさんは灯かりを目指して歩き始めました。
やがて、灯かりのすぐ目の前まで来たAさん。
焚き火がチロチロと燃えています。
焚き火を起した主に事情を説明しようとしたのですが、そこで言葉に詰まってしまいました。
焚き火の前には、2人の人が居ました。
どちらも女性で、焚き火を挟んで向かい合い、何事かを話しています。
2人はとても美人で、豪華な着物を着ていました。
『綺麗なのは大変結構なんだが…でも、どうしてこんな山の奥に、女性が2人きりで居るんだろう?』
何も話せずに突っ立ってるAさんに、片方の女性が「そこでは寒いでしょう、近くで当たりなさい」と優しく声を掛けてくれました。
Aさんは無言で火の近くに行くと座りました。
2人は相変わらず話を続けています。
そこで、Aさんは変な事に気付きました。
目の前の焚き火なのですが、確かに燃えている。
燃えてはいるが、薪が無い。
また、音も全然無い。
ただ、地面の上で火が燃えてるだけなのです。
『こんな火などあるものか。きっと、この2人は人ではない。狐か狸か知らんが、きっと化かされているのだ…これは大変な所へ迷い込んだものだ…せめて、怒らせないように気を付けないと』
さっきまでは「人が居て助かった」と思っていたAさんは、急に心細くなりました。
兎に角、目の前の2人は人でない事は確かだ。
下手をすれば命まで取られかねない…。
すると突然、「お前は、○○の所のAでしょう?」声を掛けられました。
先程声を掛けてきた女性が、いきなり話し掛けてきたのです。
『何で俺の事を知っているのだ…』
内心ビクビクしながら、正直に答えようかどうか迷いました。
『正直に答えたら喰われてしまうかも知れん。何せ、今まで俺は結構な数の狸だの狐の皮を剥いでるんだ。こんな所で仲間の敵討ちなどされたら、逃げようが無いじゃないか』
「隠さなくても良い、こちらはお前の事をよく知っている。お前の父や母の事も、よく知っている」
Aさんは何を言われているのか全然分かりませんでした。俺の父親や母親を知っているってどういう事だ。
「あまり子供を驚かせるものじゃない。見なさい、怖がってるでないの」
もう1人の女性が、答えに詰まっているAさんを見かねてか、助け舟を出してくれました。
彼女は続けて話します。
「私達に化かされていると思ってるみたいだけど、決してそんな事はしないから安心しなさい。明るくなってきたらね、道を1つ越えて更にずっと下りなさい。そうすれば、村への道に出られるから」
何とかAさんは声を出しました。
「何で俺の事を知ってるんですか?二人は誰?」
すると、2人はそれぞれ名前を言いましたが、やたらと長くて難しい名前でした。
「立派な名前ですね」
と言うと、二人は笑って返しました。
そして、
「私達は皆、こんな名前だから」
と言いました。
やがて、夜も明けてきました。すると、
「そろそろ山を下りなさい。さっきも言ったけれど、ここを真っ直ぐ下りなさい。途中で細い道があるけれど、それを行ってはいけない。その道を越えて、更に下へと下りなさい」
「その細い道は何の道なんですか?」
とAさんは質問しましたが、「知ってもしょうがない事だから」と返されるだけでした。
2人に別れを言い、Aさんは山を下り始めました。
下りる途中、後ろを振り返りましたが、既に灯かりは消えて人の気配も消えていたそうです。
女性に言われた通り山を下ったAさんですが、さっき言われたような細い道が見えてきたそうです。
『ここを下った方が、早く山から出られそうなんだけどなぁ…』
そんな考えが頭を過ぎります。
「行っては駄目だと言われたけど、見た目は全然普通の道だし、この道を下ってしまおう!」
そう思って踏み出そうとした時です。
道の奥から人が1人歩いて来るのが見えました。
『なんだ、俺以外にも人が居るじゃないか。やっぱりさっきの2人は狐か狸だ。この道を無視して更に下ったら、滝壺なんかがあるに違いない。危ない危ない、騙されるところだった』
そう思いながら、道を歩いて来る人に声を掛けようとしたAさん。
が、相手の姿を見て絶句してしまいました。
見た目は確かに人でした。
そして、昔の貴族の従者が着てるような狩衣を着ています。
しかし、Aさんが驚いたのはその人の服装ではありません。
その狩衣を着た人物。
袖から出ている手足に皮膚も無ければ肉も無い。
要するに白い骨が剥き出しになっていました。
また、顔には目の部分だけに穴を開けた木の面を被っています。
その下も白骨であろう事は、当然予想できました。
そいつがフラフラと道を歩いて来る。
『何故白骨が歩けるんだ。これこそおかしいじゃないか』
Aさんは、とっさに茂みに身を隠しました。
逃げようとして下手に動くより、藪に隠れてやり過ごそうと考えたのです。
その白骨は、相変わらずフラフラと歩いてきます。
そして、よくよく見れば何かを引きずっているようでした。
その引きずってる物を見て、Aさんは再度仰天します。
足に縄を掛けられた白骨でした。
しかし、引きずっている奴が狩衣を着ているのに対して、引きずられている白骨は立派な着物を着ています。
恐らく、貴族か何かなのでしょう。
Aさんが推測するに、狩衣の男は主殺しをしたのではないか、との事です。
ここで言う「主」とは引きずられている貴族風の白骨。
その従者たる男はその罪の為に死罪となったのではないか…。
が、当時のA少年はそんな事を考えるほど余裕がありません。
ただただ、『頼むから気付かれませんように…』と願うのが精一杯でした。
やがて、その白骨はAさんの隠れている茂みの前までやって来ました。
そして、そのまま通り過ぎてくれるかと思いきや…そこで立ち止まって周囲を見渡し始めました。
『しまった!気付かれたか…』
狩衣の白骨は、縄を持つ方とは逆の手を、そろそろと腰の刀に伸ばします。
もはや、一刻の猶予もなりません。
見付かるのは時間の問題であるように思えました。
いや、既に見付かっているのかも。
『じっとしていても見付かる。ここはイチかバチか…やるしかない』
Aさんは声にならない声を挙げながら藪から飛び出し、一足飛びに道を飛び越えて、転がるように山を下り始めました。
後ろからは刀が空を切るような音がしましたが、振り返る勇気などありませんでした。
躓いたり転んだり、枝に顔を打たれたりしながらも必死に山を下り、気付けば自分の住む村のすぐ近くの道に出ていました。
日はすっかり昇っていましたが、それでも安心できずに村まで駆けて行きました。
村では、「Aが消えた、神隠しにでも遭ったのではないか」と話し合ってる最中
でした。
Aさんは事の次第を両親に話したそうです。それを聞いた両親は「山の神様が息子を護って下さった」と大層喜んだそうです。
また、2人の女性が話した「自分の名前」ですが、1つは村の近くにある山、もう1つは少々遠方だが有名な山に居る神様の名前ではないか、との事でした。
狩衣の男と貴族の白骨に関しては、両親も全く知らなかったそうです。
Aさん自身も色々調べてみましたが、結局分からなかったそうです。
もし、Aさんが女性の言う事を聞かずに最初の道を行ったらどうなっていたか、もし、狩衣の男に捕まっていたら…全ては闇の中です。
山にまつわる怖い話18