井戸

この話を聞いたのは、高校1年のとき、入学したばかりのころだった。
日本史の担当をしていた先生が、この学校には曰くつきの場所があるんだよ、と教えてくれたんだ。

「井戸があるんですよ、ほら、あそこ、茂みの向こう…ここは高いから、わかりにくいかな」

先生は窓の外を指して、場所を教えてくれた。
俺たちのいた教室は5階にあったから、確かに見えない。
誰だったか、クラスメイトの一人が、あの駐車場のところ?って声を上げた。

「そう、駐車場の横の、茂みの奥に。碑も立ってますよ」

もう60歳ぐらいになるその先生は、授業を中断してまでその井戸の話をしてくれた。
入学したてとはいえ、授業は面倒臭い。皆静かに聞いていた。

どうやら、俺たちの通うその学校は、ずっとずっと昔は城だったらしい。
室町時代に造られた城で、中々堅牢な城だったという。
非常に有名な某将軍と敵対して攻め滅ぼされたわけだが、激しい攻撃を受けても、長い間持ちこたえたそうだ。
けれど、結局水と食料が尽きて、落城した。
今だって田舎としかいえないところに建ってるわけだから、昔は本当に田んぼしかない場所だったはずだ。
落城は当然のことといえばその通り。しかし、城内の人間は頑なだった。

「身投げしたんです、あの井戸に」

水が尽き、もうどうしようもなくなった城に火が放たれ、燃え盛る業火の中、武士は皆切腹。
女性は全員、井戸に身を投げたらしい。
それほど落城が悔しかったのか、あるいは、辱めを受けるであろう今後の人生を憂えたのか…。
時代が時代とはいえ、凄惨な最期を遂げた城は灰塵となり、跡地には井戸だけが残ったという。

それから時は流れ、奇妙な噂が立ち始めた。
その井戸を覗き込むと、見えない何かに髪の毛を引っ張られるだとか、枯れているはずの井戸に顔が映るだとか、そうした目にあった人間は髪の毛が伸びる、だとか。

「霧の深い日に、火の玉が浮かんでたなんて話もありますよ」

どうやら、身投げをした人たちの怨念が今も残ったままらしい。
まあどうせそんなオチだろうな、と思っていただけに、拍子抜けすらしなかった。
きっと、クラスの皆だってそうだったと思う。
その日は、そのままいつものように一日を終えた。

それからしばらく経った日のことだ。 確か、三者懇だったかなんだったかで、半日で放課になる日だったと思う。
そろそろ初夏を迎えるころ、最近暑いよなって話を友人三人としていた。
そうしたら、ある一人の友人が、そうだ井戸行こう、井戸、と言いだした。

「井戸ってあれ?先生が言ってた」
「そうそう。今はもう慰霊碑も立ってるしさ、行ってみようよ」

俺も、他の友人も、異論はなかった。俺たちはバスで通っていたから、スクールバスが学校へ来るまでは暇だったし、ちょうどいい時間潰しになると思ったからだ。
慰霊碑が立ってるってことは供養もされているだろうし、こんな真昼間なら怖くない、って。

SHRが終わってすぐ、俺たちは井戸へ向かった。
教員・来客用の駐車場のすぐ横にある茂みの奥にあるのは、先生から聞いて知っていた。
茂みと言ったってそんなに深くもなければ大きくもない。ともすれば、駐車場側から碑が見えるようなところだ。
ちなみに、井戸の周りは、慰霊碑と井戸の曰くをつづった看板、そして井戸の名前を書いた碑が、それぞれ立っている。
俺たちは、あっさり井戸へ辿りつくと、一人ずつ覗き込んでみた。

「なんか見える?」
「いや、何にも。お前も覗いてみろよ」

そう言われて、俺も覗く。何も見えない。当たり前だ、枯れ井戸なんだから。
けれど、その井戸を覗き込んだ瞬間、なんだか背筋がひんやりとした。

(…なんか、気持ち悪い)

俺の率直な感想はまさにそれだった。枯れている上、年月を重ねて積もった土のせいで、井戸というよりはただの穴だ。しかも、落ちたって登ってこれそうな深さだというのに、それでもなんだか気持ち悪い。
すぐに覗きこむのをやめて、俺は「もう帰ろう」と言った。

「拍子抜けした。ただの穴だな、あれ」

きっと皆つまらなかったんだろう、確かに碑と看板がなければ、本当にただの穴だ。
それに適当な相槌を打ちながら、俺たちは茂みの外へと出た。

「暑いな、今日」

まだ5月なのに、もう真夏なんじゃないかってぐらい暑かった。
茂みの外へ出た途端、汗が出るぐらい――いや、待て。おかしい。
俺は、思わず井戸のある茂みを振り返った。井戸の名前が書かれた碑が、茂みから顔を覗かせている。
そして、井戸はあの碑のすぐ後ろに、ある。

「なんだよ、どうしたんだ」
「…いや、別に」

友人に呼ばれ、止めていた足を動かす間にも、太陽はじりじりと照りつけ、汗が出てきた。
アスファルトのせいだろうか、遠くの方には薄い蜃気楼のようなものが見える。
暑い、本当に暑い。

でも、茂みの中は、とても涼しかったのだ。

俺たちが歩き、汗を流している場所から数メートル程度の場所で、碑が見える程度に草や木の刈られた場所にあるのに、あそこはとても涼しかった。
かといって風通しがいい場所では決してない。どちらかといえば、熱の籠もるような木々の生え方をしている場所だ。
それに気付いた途端、先程感じた気持ち悪さが再び俺を襲った。
なんとも言えない、怖いわけではない、どちらかというと悪寒に近い感じ。

それから俺は、一度もあの井戸へ寄りつかなかった。

次の年、自殺者が出た。
俺たちの通っていた三年制の高校じゃあなく、同じ敷地にある、中高一貫六年制の生徒だった。
それが井戸と関係があるかと言われたら、今も昔もそういう風には思っていない。
でも、別の校舎の人間とはいえ、同じ学園に通う人間が自殺したわけだ。家に帰り、その話を兄貴にしたら、ああ、って顔をされた。
兄貴は、俺の通う学校のOBだ。

「俺の時もあったよ。三人ぐらい死んだ。あの学校、しょっちゅう人死にでるから」
「…自殺?」
「そう、自殺」

聞くところによると、わりと頻繁(といっても年に何人もってわけじゃあないが)に自殺者が出ているようだった。
学校の近くに、自殺の名所があることも関係してるんじゃなかろうか、とのこと。
この自殺の名所については割愛させてもらうが、それでもわりとよく聞く話だ。
でもさ、と兄貴は言う。

「皆、”曰くつきの井戸”ってのに気を取られて忘れてるんだろうけど、あの井戸で死んだのは女中ばっかりだ。どういうことかわかるか?」

俺は、その時初めて気付いた。
確かに、井戸に気を取られて忘れていたこと。

「武士たちが、炎の中で切腹して死んでいったのはどこだと思う?…お前たちが生活してる敷地だよ」

いいか、あの慰霊碑は井戸の慰霊碑だ。なあ、あそこ以外に慰霊碑なんてないだろ。
それを聞いて、鳥肌が立った。

今も、その高校はしっかり存在してる。
自殺者と、あの土地の曰くが繋がっているかどうかはわからない。今の校舎は旧校舎を取り壊して作った新校舎で、すごく綺麗だから、井戸の話以外に怪談も聞かない。

あんまり怖くなかったな。長くなった。ここまで読んでくれた人、ありがとう。
そうだそうだ、もし井戸を見に行きたいって思っても、敷地内に勝手に入ると通報されちゃうから気をつけてくれよ。

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