mixiで見つけた
前職が前職だったので、不思議な話を聞く機会はそれなりにあった。
老若男女問わず、「こんなことがあったんだが、なにもしなくて大丈夫か」、「あれはいったいなんだったのか」等を寺にたずねに来る人は多い。
住職が上手く煙に巻いて安心させて帰らせたり、忙しいときはまともに取り合わなかったりもしていた。
それを横で聞いているうち、「不安ってなんだろう」と漠然とした疑問を抱いた。
それも、今の学科に入った遠因のひとつにあるのだろう。
僕は心霊現象は信じない。昔は、ごく普通の怖がりな子だったが、宗派が霊だのなんだのを認めなかったため、自然と合理的な解釈を探し、否定しようとする癖がついた。
本当はおっかないけれど、怖がらない姿勢ができた、とでも言おうか。
しかし、そんななかで、どうにも僕の頭では否定しきれなかった物がいくつかある。
寺の居間で、Aさん(仮名、中年男性)が、先週のことですが、と前置きしてから始めた話。
中国地方のとある県に旅行に出かけ、昼食に郷土料理を食べたが、それが身体に合わなかったらしく、店を出てから腹の具合が悪くなった。
田舎道なこともあり、トイレを借りられそうなコンビニなどはどこにも見当たらない。
車を停め、その辺の草むらで、とも思わないでもなかったが、せっかくの旅行に、ちょっと恥ずかしい思い出が追加されてしまうのも面白くない。
もう少し、もう少しと我慢を重ねつつウロウロするうち、村営会館の看板を見つけた。
矢も盾もたまらず駆け込もうとしたが、ちょうど玄関から出てきたおばさんと鉢合わせ、危うくぶつかりそうになった。
取り急ぎ、トイレを貸してくれと頼んだが、もう閉館時間で、私も鍵を閉めて帰るところだから、よそを当たってくれ、と、にべもない返事が返ってきた。
しかし、お腹がいよいよ差し迫っていたAさんには、とうてい聞ける話ではない。
そこをなんとかと頼み込み、露骨にため息をつかれながらも、どうにか中に入れてもらい、トイレの場所を聞き、一目散に駆け出した。
古い木造建築なため、足音が大きく反響し、それがお腹に響くようで、嫌なおばさんへの腹立ちともあいまって、ここはひどく気に食わない所だと思った。
飛び込んだトイレは、個室が三つある広いものだった。
Aさんは、切迫した状況ながらも、自分が帰った後、あの嫌なおばさんがもしも窓かなにかの確認に来た時に、においが残っているような状況になるのを避けようと、換気扇の有る一番奥の個室の戸を開けた。
しかし、(汚い話しで恐縮ですが)そのトイレは、前に用を足した人が、結構な量を排泄し、さらに流さずにそのまま出て行ったらしく、尋常ではないほどの量が残されていた。
Aさんは、これは下手に流したら詰まるかもしれない、と考え、急いで隣の個室に飛び込んだ。
なんとか間に合い、至福のひと時を味わっているうち、遠くから足音が聞こえてきた。
ゆっくりとした足取りで近づいてきて、トイレのドア前の廊下で立ち止まった。
どうやらあのおばさんが急かしに来たらしい。
が、さっきのやりとりの中での、こころない対応に腹を立てていたAさんは、別段いそいで外に出ようとは思わなかった。
まさか男子トイレの中にまでは入ってこないだろう、とたかをくくっていたこともあり、心ゆくまでりきみ続けた。
ようやくお腹がすっきりしたAさんが個室から出たのは、トイレに駆け込んでから五分ほど経ってからだった。
ドア前から去っていくような足音はしなかったため、どうやらまだ外におばさんはいるらしい。
意地悪を通り越して変人だな、と思いながら手を洗っているうち、奥の個室をこのままにしていたら、おばさんはAさんが残していったように思わないか、との疑問が湧いた。
しかし、流せるような量でもなかったし、どうしようか、と目を向けたところ、ふと違和感を覚えた。
ドアノブに、一部赤い部分がある。内側からカギが閉まっているらしい。近寄って確認したが、間違いない。
隣の個室にこもっていながら、ドアを開閉する音に気付かなかった事が不思議だった。
まさかそこまでの爆音をお尻から奏でていたわけでもない。
廊下からの物音に注意を向けていたため、音には敏感だったはずで、そんななか隣の個室に人が入るなど、聞き漏らす訳もない。
第一、隣は流さないと座る気も起きないほどの惨状だったはずだ。
にもかかわらず、流した気配など微塵もなかった。
しかしまぁ、人が入ってるなら、流しに行く手間も省けたかな、と思い、廊下側に目を転じたところ、奥の個室から、トイレットペーパーを引き出す音が聞こえた。
やっぱり人がいた、とのやや場違いにも思える安心感を覚えつつ、一歩踏み出した足が凍りついた。
さっきまで、自分が使っていた個室のカギも閉まっている。
無論トイレの中には、さっきから誰も入ってきてなどいない。
ましてや、Aさんの目の前の個室に、Aさんに気付かれずに入れるわけがない。
今までに体感したことのない奇妙さに、ドアノブをにらんだまま動けなくなった。
その数秒のうちに、奥の個室のトイレットペーパーを引き出す音が、異常に長いことに気付いた。
紙を全て引き出そうとでもしているように、音は一向に途切れない。
ごく普通の生活音であるはずのその音が、違和感を覚えた途端、おぞましい音に聞こえてきた。
混乱するAさんの耳に、誰も入っていないはずの、しかし、カギがかかっている目の前の個室の中から、隣と同じ、トーレットペーパーを引き出す音が聞こえてきた。
その音を聞いた瞬間、全身に鳥肌が立った。
なにがどう、とは説明できないが、他のいつでもない今、他のどこでもないここに、他のだれでもない自分が居ること自体に、絶望的なほどの恐怖を感じた。
個室の中の「なにか」に気付かれたらおしまいだ、と思ったそうだ。
腰が砕けそうになるのをなんとかこらえつつ、音を立てないように細心の注意をはらいつつ、廊下とトイレとを隔てるドアにたどり着いた。
ドアノブにかけた手に体重をかけ、なんとか身を支えているAさんの耳に、今度は廊下から奇妙な音が聞こえてきた。
ドアの外で、誰かが飛び跳ねている音がする。
しかも、飛び上がってから着地するまでの間隔が、異常に長い。
Aさんが言うには、棒高跳びのような感じだったらしい。
直感的に、今外に出ると、ここに居るより怖いことが待っている、と感じた。
外に出られず、しかしトイレの中になど絶対に居たくない。
どうしようもなくなったAさんの中で、なんの前触れもなく、突如感情が爆発した。
ドアの外、廊下で飛び跳ねている「なにか」に対して、押さえようのない怒りと殺意を覚えた。
Aさんは何故か、この状況は、外に居る「なにか」のせいだと確信していた。
外に居る「なにか」を殺さなければ、自分は死んでしまう。
外に居る「なにか」を殺せば、自分は助かる。
ならば、その「なにか」を殺すことに、なんの遠慮をすることがあるだろう。
ドアを蹴破るようにして開け、外に飛び出した。
廊下に仁王立ちのまま、千切れんばかりに首を回し、八方を見回したが、殺せそうな生き物はなにも居ない。
次に、床に這いつくばり、ちいさな「なにか」を探した。
が、なにも居ない。
はじかれたように跳ね起きて、窓の外を見ても、鳥の一羽も居ない。
この時Aさんは、涙が止まらなかったと言う。
外に居る「なにか」を殺さなければいけないのに、何故なにもいないのか。
なんでもいい。誰でもいい。どんな生き物でもいい。
何故私に殺されてくれないのか。
このままでは、私が「なにか」に殺されてしまうじゃないか。どうしてくれるんだ。
涙をぬぐいつつ、冷静になろうと試みたAさんに、天啓がひらめいた。
あのババアを殺せばいいんだ。
あいつは嫌な奴だし、それに弱そうだから、多分簡単に殺せるはずだ。
思いついたとたん、こらえようのない笑いがこみあげ、次の瞬間には大声で笑っていた。
ようやっと「なにか」を殺せることに、たまらない愉悦を感じながら、玄関を目指して走り出した。
Aさんはそのまま外に飛び出し、おそらくは私物であろう軽トラックの、助手席側のドアを開け、なにやら床下を探っているおばさんを見つけた。
奇声を上げながら全速力で駆け寄っていったところ、気付いたおばさんは、恐怖にひきつった顔をして、トラックの中に飛び込んでドアをロックした。
すんでのところで間に合わなかったAさんは、運転席側にまわり、ドアを開けようとしたが、間一髪おばさんがロックするほうが早かった。
Aさんは、逃がしてなるかとばかりに軽トラックの荷台に飛び乗った。
運転席にすべりこんだおばさんが、車のエンジンをかけ、携帯電話になにかを怒鳴りながら急発進した。Aさんはバランスを崩し荷台から落下し、頭をしたたかに地面にぶつけた。
Aさんはその時、脳震盪を起こしたらしい。なにか生き物を殺したい、と思いながら、体が思うように動かせない自分は、なんと不幸なのだろう、と地面に大の字になったまま、夕焼け空をにらんで男泣きに泣いた。
その後しばらくして、いまだ動けないAさんは、おばさんからの電話をうけて駆けつけたらしい男数人に取り囲まれた。
体は動かないが、殺していい生き物が近くに来たことで、Aさんはまた極度の興奮状態におちいった。
一番楽に殺せそうな年寄りが、Aさんに対して、「変な言葉をわめきながら」、「なんだか臭い、変な水」を振り掛けた。
その瞬間、Aさんは自分が何をしているのかわからなくなり、一瞬にして眠りに落ちた。
小さな診療所のベッドの上で目が覚めたAさんは、普段の落ち着きを取り戻していた。
警察官と、先の年寄りが部屋の隅に座っていた。
警察官に訊かれるまま、Aさんはおこったことの全てを話した。
自分がなぜあんなふうになったのかわからない、とも伝えた。
Aさん自身ですら、自分がしたこと、感じたことを信じられないのに、ましてや警官が信じてくれようはずもない。
逮捕されるのか、と半ば諦めたが、特に目に見える被害がなかったことから、厳重注意で済んだ。
Aさんは、わけがわからないながらも、何度も謝罪の言葉を伝えた。
別室にいたおばさんに謝罪しようとしたところ、おばさんから、それには及ばない、との言葉が返ってきた。
年寄りにいたっては、なぜか同情的ですらあった。
年寄りとおばさんとが、事情を説明してくれたところによると、Aさんは、『ムシャクル様』にたたられた、とのことだった。
『ムシャクル様』とは、その地方の地域信仰の対象で、いうなればタタリ神に近いものらしい。
『ムシャクル様』の名前は、「武者来る」、あるいは「武者狂う」からきており、これにたたられた者は、「生き物を殺さなければならない」との強い強迫観念に縛られ、しばしば実際に殺してしまう。
この土地では、数年に一度、『ムシャクル様』にたたられる者が出るという。
たたられる人に共通点はなく、なんらかの禁忌を犯したものか、人により故意に呪いがけされたものかはわからないらしい。
Aさんに振りかけた「臭い水」は、『ムシャクル様』をまつるほこらの西側にある池の水で、『ムシャクル様』にたたられた場合、その水をかけることによってたたりを清められる、と伝えられている。
『ムシャクル様』にたたられた者には、動物を投げつけ、その動物を殺しているうちに(その際に、より時間が稼げるように、この地域には大型の動物をペットにしている家庭が多い)池の水を汲んでくるしか対処法はないらしい。
水をかけたあと、なんらかの手段を用いて、たたりつきの意識を失わせ、その後目覚めさせることによってのみ、「正気に戻る」。
それ以外の方法で押さえつけた場合、自分の手首を噛み切ったり、爪で太ももの内側の動脈を切ったりして、「道具を使わずに」自殺してしまうケースが多いらしい。
年寄りは、「あんたには不運であったろうが、いつもの例からみると、今回は運が良かった」と何度も何度もつぶやいていた。
その後、Aさんは、脳震盪の検査の後、異常は見られなかったため、無事退院し、そのまま札幌に帰ってきた。
Aさんが言うには、それ以来、「音」が怖くて怖くて仕方がない。
足音や、なにかがジャンプするような音、家鳴り、水滴の音などが聞こえると、体中がふるえあがってしまう。
いつまた自分がああなるか、自分の周りの人がいつああなってしまうかと思うと、怯えてしまってこまる、と言っていた。
その時、住職がなんと言ったか覚えていない。
普通に考えれば、精神的な病ではないか、ストレスへの防衛で怒りに転化したのではないか、などが考えられると思う。
が、僕にはこの話しは、勘違いや偶然とは言い切れない。僕の母方の祖父が、似たような話をしていたことを知っているからだ。
祖父は若いころ、友達と、その恋人と三人で、恋人の故郷である、中国地方のとある県に物見遊山に行ったことがある。
恋人の一族の墓参りを済ませ、帰ろうとしているうちに、友人が便所に行った。
そして、便所から出るなり、待っていた祖父に殴りかかってきた。
血の気の多かった祖父も即座に応戦し、両者血みどろになった(その際、目突きや首締め、金的など、普段はそんなことしない友人が、ダーティーテクニックばかりを使ってきて、その殺す気っぷりに驚いたらしい)。
そのうち、血相を変えた土地のお婆さんが駆けてきて、二人にべたべたする水をぶっ掛けた。
なにをする、と怒り心頭に発した祖父だったが、いつの間にか男たちに取り囲まれており、袋叩きにされた。
恋人が周囲を走り回り、人を集めたものらしい。
その後、友人がおかしくなったのは『ムタチクル様』(六太刀狂様か、無太刀狂様とでも書くのかもしれないと祖父は言っていた。
ムシャクル様が転化したか、祖父が聞き間違えたか、記憶違いか)の呪いのせいであり、二人とも暴れているから、二人やられたのかと思った、こうするしかなかった、等を言われたらしい。
納得いかない祖父が噛み付いたところ、友人は誰かに怨まれており、これはおそらく人為的な呪いだ、今回は払えたが、これ以上はどうすることも出来ないと言われた。
祖父はなにか言おうとしたが、思い当たることがあった様子の友人の手前、それ以上はなにも言えなかった。
恋人は、顔面蒼白となっていた。
友人の恋人には、かつて婚約者がいた。
友人は、それを知りつつ近づいて、婚約者から女性を奪い取ったプレイボーイだった。
婚約者を奪われた男は、この村の出身だった。
男は恋人を奪われたことでひどく落胆し、当時住んでいた兵庫県を引き払い、北海道に移ったらしい。
「そして、北海道から、友人に『ムタチクル様』の呪いをかけたのではないか」とは、祖父の推測に過ぎない。
しかし、その数年後、その友人は、恋人を殺し逮捕された。無理心中を図った、とも、発狂した、とも言われたそうだ。
祖父は、僕の母が札幌出身の父に嫁ぐことにより、北海道に移住することに、最後まで反対していた。
また、とある県には絶対に足を踏み入れることもなかった。北海道のどこかと、中国地方に、人を呪い殺せる者が居る、と祖父は信じていた。
Aさんは、今も生きている。
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