小学校んときの話。
会話文は雰囲気出すために方言で行くわ。
俺は地元が東北なんだけど、俺の小学校は俺が在学中ミニバスが結構強くて、土日も長期休みも練習&練習試合&合宿ばっかだったのね。
ある夏休みの日、近隣の学校と合同合宿があって、
隣町のセミナーハウスに泊まることになった。
で、現地着いて俺らぼーぜん。
俺ら『なにこのきったないセミナーハウス・・・』
ってのが、全員一致の意見。
木造造りの家が点在してて、
ぼろいスーパーが1軒あるぐらいでコンビニもなし、後は山だらけ。
俺らの学区よりさらに田舎。
セミナーハウスの後ろはすぐ杉だらけで鬱蒼とした山々。
本当かどうか知らないけど、誰かのかーちゃん曰く、
おばちゃん『このセミナーハウスは昔、強制労働で使ってた宿舎』
だとかなんとか。
そんときは泊まりイベントに興奮しててその話自体は気にしなかった。
んで、早速練習&紅白試合とかやって、あっとゆー間に夜。
夕飯喰って、
大部屋に戻った俺らは当時学校で流行ってたUNOを持ち出してUNO大会。
消灯時間近くまでUNOやって楽しんでたんだけど、後ろでぽつーんとハブられてるヤツが1人。
便宜上、ソイツをAと呼ぶ。
小学校や中学校とかってさ、いるじゃん?
特殊学級に振り分けられる生徒って。Aもそのクチだったのね。
んでも、部活とかは普通に入れるからミニバス部入っててさ。
ちなみに今考えると、結構可哀想な境遇で、Aんち見たことあるんだけど現代史の教科書に出てくるようなバラック小屋に住んでて、親父らしきヤツも見たことねーのよ。
多分、母子家庭かなんかで更にはハンデ持ちだったんだろうな。
そんなAだから、小学生ぐらいの歳の連中にしてみたらウザい存在でしかないわけ。
だから、結局ハブられるわけだが、消灯1時間前の見回りに来た監督に、
監督「チームワークも大事に出来ねーおめだぢが勝てるわけねーべ!」
とか怒鳴られてさ。
内心渋々ながらも、Aを交えてなんかやろうって話になったのよ。
そしたら仲間の一人が、
「こえー話すべし」
とか言い出した。
正直、俺は怖い話はあんまり好きじゃない上に
怖い話も知らんのでやりたくなかったんだけど、
Aがハンデ持ちだからUNOなんてできねーし、しょーがなく承諾。
何人かの怖い話はTVとかで聞いたことあったヤツだからそこまで怖くなかったんだけど、Bが
B「『そうぶんぜ』って知ってらが?」
つって話し出した。
何を今さらって話だと思うかもしれないが、
当時そうぶんぜのネタを知らん俺はガチビビった。
っつか、周りの連中も誰も知らなかったらしくかなりビビってた。
このスレでわざわざ言うまでもないだろうけど、
そうぶんぜって色んなパターンがあるじゃん?
俺らが聞かされた内容は、うろ覚えだけど、
「目を瞑ると、あなたは炭鉱の中のトンネルを歩いている。
炭鉱の中なので、道が複雑に分かれている。
分かれ道に来たら次に言う順番で道を歩け。
最初は右、次に・・・(中略)
最後の行き止まりに着けば、
警察官みたいな人がいるからその人のところまで行けば大丈夫。
途中で、死んだ霊魂が聞き慣れない言葉で話し掛けてくるが、
絶対に返事をしたり話しかけるな。
途中で目を開けても駄目。
決まりを破ったら最後、その場で魂を持って行かれる。」
こんな感じだった。
後で知ったんだけど、俺が軽く調べた限り、
ネットで目にするどの話とも微妙にパターンが違ってた。
で、ガチビビリした俺らは言うとおりにやったんだけど、Aはさっきも言ったようにハンデ持ちだったので、話をよく分かっていないのか、怖くてテンパってたのか目を瞑りながら喋ってしまった。
そのとき喋ってた言葉が聞いたこともない言葉というか、少なくとも日本語には聞こえない言葉だった。
俺ら「おい、これやべーんでね?喋ってらって!」
B「あっはっは、おめだぢマジうげるー!『そうぶんぜ』って逆がら読んでみれでば!」
俺ら「あ?『ぜ・・・んぶ・・・う・・・そ』んなー!頭さ来るなー、嘘がー。マジビビッたでばー!」
一件落着、と思いきやAがさっきと同じ状態のまま。
俺ら「おい、A!いい加減やめれでば!全部嘘だどや!」
A「くぁwせdrftgyふじこlp;」←聞き取れなかったから適当に入れた。
俺ら「おい、やめれっつってらべが!おいっ!」
Aの肩を掴んだ瞬間、糸が切れたみたいにガクリと崩れ落ちて目を覚まさない。
これはマズイと思って、俺らは慌てて監督呼びに行った。
父兄も集まってきて大騒ぎになり、しばらく様子を見たけど、目を覚ます気配なし。
結局、救急車呼んでAが病院に運ばれ、
合宿は中止で翌日状況説明&説教を食らって解散になった。
その後、夏休み中ずっと入院したままだったらしく、Aは練習に顔を出さなかった。
2学期の始業式で、Aが引っ越すことになったと担任から聞いた。
本当かどうか知らないが、噂では精神科のあるデカイ病院に移る為だったとのこと。
Aが住んでたバラック小屋もずっと人の気配がなく、どちらにしても詳しい事情なしでAと家族はいなくなった。
以上が当時の話。
その後、中学の研究発表会でたまたま調べることになった郷土史を調べて愕然とした。
あのセミナーハウスのある町なんだけど、
太平洋戦争末期に外国人労働者が炭鉱などで不当労働させられたために蜂起が起こり、その際に官警などによる弾圧で多くの犠牲者を出した土地らしい。
しかも、誰かの母親が言っていた
「強制労働で使ってた宿舎」ってのもどうやら嘘ではないらしかった。
さらに数年前、ミニバス部での同窓会があって当時の連中と会う機会があり、Aの話題になった。
Aは俺らが中学2年ぐらいのときに目が覚めたこと、その後1年で無事退院したこと、しかしさらに数年後、行方不明になったことを、
地元に残ってる連中は小学校のときの監督に聞いたそうだ。
また、別の友人が当時の話をBと振り返ったときに判明したことが1つ。
Bの知ってる『そうぶんぜ』は、ネットで見かけた内容と酷似していたとのこと。
(出てくるのが建物は寺とか、人物は坊さんとか婆さんの方)
炭鉱とか警察官とかそういう内容ではなかったらしい。
しかもB本人は記憶が違っているのか、話したのは普通によく聞く話の方で、炭鉱とかそういう話はしたつもりがないとのこと。
Bの記憶と俺らが実際に聞いた話が食い違ってることや、あのセミナーハウスが過去に陰惨な事件の舞台だったことを考えると、今ではAが喋っていた言葉が 殺された外国人の国の言葉だったんじゃないかと思えてきて仕方ない。
少なくとも一つ言えるのは、
架空の恐怖話でも環境や状況が噛み合ってしまうと
本物になってしまうんじゃないかと思っている。
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