バイト仲間Tの話
Tは犬が苦手。小さい頃に襲われたからだそうだ。
幸いと言えるか判らないが、大型のハスキー犬だったにもかかわらず、噛まれたのは一箇所で、傷が薄く残る以外に後遺症はなかった。
犬好きに話すと、無意識に逆なでしたのでは?と言われるが、友人宅に行くなり唸られ、繋いでるから大丈夫と家人が言う間もなく、鎖を切って飛び掛かかられ噛まれたそうだ。
『そりゃ嫌いにもなるだろうね』
犬好きの俺もフォローできずに言うと
『嫌いなんじゃなくて苦手なんだ。感謝はしても、どうしても怖くて』
と複雑な顔で呟いた。
当時、Tは悪夢に悩まされていた。
猿のミイラのような気味の悪いものが出てくる夢だったそうだ。
毎日、同じ夢を見るようになり、恐怖のあまり夜尿症にまでなったという。
両親に話しても、夢なんだから気にするなと笑われるだけだった。
『二十日、あと二十日の辛抱で山に戻れる』
最初はハツカと言っていたのが、一晩ごとに一日づつ日数が減り、ミイラのようだった猿の身体が少しづつみずみずしくなり、だんだん大きくなった。
日を数える声も日毎に嬉しそうになり、十日を切る頃には更なる変化が現れた。
猿の顔が自分に似てきたというのだ。
その頃には漠然と、最後の日に自分は死ぬと思っていたそうだ。
友人宅に遊びに行ったのは、あと五日と言われた夜が明けた朝だった。
『五日、あと五日の辛抱で山に戻れる』
ニヤニヤ笑う姿は嫌気がさすほど自分に似ていた。
『でもね、犬に噛まれてから夢を見なくなったんだ。もしかしたら、命の恩人かも知れない』
喋り過ぎたことを後悔したのか、少しバツの悪そうな顔をしていたTは、
一呼吸おいてから断言するように言った。
『ま、夢に意味などないのかも知れないけど…、とにかく犬は苦手。だけど猿は大嫌いってことだ』
山にまつわる怖い話29