オトウト

10年ちかく前、休日に何かの用事でクルマを運転していた時。

直前を走っていた大型トラックの荷台から、でかいH鋼(っていうの?)の端材みたいな鉄材が、スルっと、後続の自分めがけて滑り落ちてきた。

避けようと、反射的にハンドル切ろうとした(たぶん、切ったと思う)のと同時に、「ああ、これは避けられんな」と、妙に冷静に確信した。

一瞬で諦めたというか。
とにかく死や痛みへの恐怖、はなかったと思う。
スローモーションのように、H字の断面が目の前にナナメに迫るのを見ながら、葬式はどうするんだ、パソにエロいデータが出しっ放しじゃなかったか、なんてことまで考えてたかも(いや、これはあとから考えたんだったかなw)。

ところが、そのとき左耳に向かって、真横から、

「おまえの弟が泣いて頼むので、今回は」

という声。
同乗者なんていない。何もない空間から。

なにをどうしたものかさっぱりわからんが、結果的には避けてた。

ルームミラー越しに、その鉄材が路上に横たわってるのを見て、ホッとするというより、なんで?って。
クルマにかすりさえしないって。

俺の後続には、距離を開けてライトバンがいて、そいつ、トラックの伴走だったようだ。
落ちた鉄材の前で止まり、慌てて人が降りてきた。

その時点では、こっちはほとんど止まりそうなくらい減速していたが、なんだかよくわからないながら、なにもなかったんだからからいいやと、落ちた鉄材と、こっちを見ているライトバンのオッサンと、トラックをミラーでチラ見ながら、そのまま走行。
早くそこを離れたかったのだと思う。
ヤツらの胸ぐら掴んで怒鳴り付けることは思いつきもしなかった。

ハンドル操作が間に合った気がしないないのだが、跨げる大きさじゃないし、頭上を飛び越えるわけないし。
俺のクルマがあの鉄材をどうやって避けたか、後続車にはどう見えたのか聞いてみてもよかったか、とは、クルマを走らせながら、あとでちょっと思った。

それにしてもあの声が何なのかが分からない。
「‥‥今回は」って。
そのあとが「今回は救ってあげる」なのか、「今回は見逃してやる」なのか。
女の声ではなかったようだが男の声だという確信もない。

だいたい、オトウトって誰よ。
俺に弟はいない。
親はすでに亡くしているので、今後生じる(w)予定もない。
義理のセンもなし。ヨメには、死産だったが「妹」がいたそうだけど。

泣いて頼んでくれたという弟じゃない誰か、に俺は感謝すべきなのかどうか。

確かに左から聞こえてはきたんだけど、コンマ何秒だかマイクロ秒だかの間に、誰かが言葉を発して、空気を伝わって俺の鼓膜が震えて‥‥なんてちょっと考えられないから、物理的な音声ではなかったんだろう。たぶん。

「どうやっても避けられないと見えた状況」そのものも、パニックで脳がとっちらかって認識しただけ、と思えば、まあ説明はつく。

ただ、弟なんていないと言葉にしたら、それじゃ、とあらためて頭上から鉄骨が落ちてくる‥‥
なんてこと、万が一にでもあったらイヤだなと、今まで誰にも言ったり書いたりする気が起きなかった話。

長く乗ってたその時のクルマを今月手放したので、関係ないけど、なんとなく書きたくなった。

不可解な体験、謎な話~enigma~ 37

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