綺麗な毬

少し長くなりますが、数年前の体験談を書きたいと思います。

私の実家は雪国なのですが、盆地のせいで夏場は熱がこもり、夜はかなり暑くなります。
田舎な上にネットやゲームもない環境だったので、私は退屈していました。

時間は夜の10時を少し回ったころです。
家の周囲が水田ということもあり、開けた窓からは蛙の声がうるさいくらいに飛び込んできます。
熱気をおびた空気がまとわり付き、なんとも不快でした。
私は少しさっぱりしようと、その日何度目かになるシャワーを浴びることにしました。

風呂場に行き、電気のスイッチを押したのですが、反応がありません。
「切れたか?」
そう思った私は、替えの蛍光灯を取りに、外にある物置へ向かいました。

私の家の周りに街灯はなく、家から漏れてくる明かりだけがぼんやりと辺りを照らしています。
その明かりに向かって蛾か何かがにしきりに体当たりを繰り返す音が聞こえていました。
それ以外の音は蛙の声と自分の足音くらいで、私は妙に寂しい気分になり、
知らず知らずのうちに独り言を言っていました。

「無いなぁ・・・・・・こっちか?」
「これは・・・っと、違うしな。」
「うひゃぁっ、中学ん時のエロ本だ。こんなとこに隠してたのか、俺・・・。」
しばし、熟読。

その他にも色々と懐かしい物が出てきて、当初の目的を忘れて私は物置を物色し始めました。
物置の小さな裸電球の下であれこれと探っているうちに、古びた木箱を見つけました。
それは相当奥まった場所に置いてあったため、厚い埃を被って、蜘蛛の巣まみれでした。
大きさは大体一辺30cmくらいでした。蓋の部分を少し横にずらしから開けるように細工がしてありました。

道具箱か何かかと思いましたが、持ち上げてみると軽く、振ってみても音はしません。
呪物として用いられる箱の話は知っていたので、もしかしたら良くない物が入っているかも知れない。
そういう恐れはありましたが、見たところその箱にお札や封印は張られていませんでしたし、危険な感じもしませんでした。

少し逡巡した後、私はその箱を開けました。

中に入っていたのは、綺麗な毬でした。
絹か何かで作ってあるのか、手触りはすべすべと心地よく、夏場の熱気など知らないといわんばかりにひんやりとしていました。
椿を模したと思われる柄が赤を基調に編まれており、見た目もとても美しいものでした。
にも拘らず、私は恐怖と後悔に襲われていました。
理由は分かりません。

ただその毬を箱から出した瞬間、「触らなきゃよかった。」「どうしよう。」「怖い。」それだけが頭を占めていました。
「ごめんなさい。」「ごめんなさい。」「ごめんなさい・・・。」
気付けば、何故か私は謝罪を繰り返していました。

震える手で毬を箱に戻し、元あった場所に押し込んで、物置から逃げ出しました。
家に入ると、やっと現実に戻ってきた気がして、へたへたとその場に腰を下ろしました。
冷や汗で全身はぐっしょりと濡れ、Tシャツが気持ち悪く張り付いています。
「あんた、どうしたの?」
突然声をかけられ飛び上がらんばかりに驚き、声の主を確かめると、母でした。
怪訝そうに私を見ています。

「風呂の蛍光灯、切れてて・・・物置に、取りに行ってた。無かったけど・・・。」
「・・・・・・いちいち取りに行くの面倒だから、私の部屋のクローゼットに入っているわよ。」
「それ、先に言ってよ。」
「それじゃ、まず聞きなさいよ。私はエスパーじゃないんだから、あんたが何探してるかなんか分かるもんですか。」

それもそうだ、と頷きながら、私は居間に向かいました。
母と話したお陰で、大分落ち着きましたが、一人で風呂に入る気にはなれず、明るいところにいたかったのです。
たかだか毬一つで何を馬鹿な、と思うでしょうが、私は毬に恐怖と罪悪感を感じていました。

居間には父がいました。
いつものように晩酌をしながら、笑いもしないでバラエティー番組を観ていました。
ちっとも楽しそうには見えませんが、本人曰く「楽しんでいる」そうです。
私は父の横に投げ遣りに腰を下ろし、一つ息を吐きました。

「もらうね。」
父に一声かけ、酒とおつまみに手を伸ばしました。
あまり欲しくも無かったのですが、何かしていなければ落ち着かなかったのです。
ポリポリと柿ピーを食べながら、酒を注ごうと徳利に手を伸ばしたとき、父が私をじっと見ていることに気がつきました。
バラエティー番組を観ている時と同じ、無表情で。
「えっと・・・・・・食べちゃダメだった?」
無言のプレッシャーに負け、私は尋ねました。

「触ったのか?」
父は私の質問に答えず、聞いてきました。
毬のことだ。すぐに分かりました。
何故父が。頭が混乱して、私は何も言えませんでした。

「触ったのか?」
もう一度同じ質問をされ、私は力なく頷きました。
罪悪感や恐怖、後悔、色々な感情がごちゃ混ぜになって、涙が溢れそうでした。

「そうか。」
父は短くそう言い、クイッと酒を呷りました。
そして、ふぅっと強く息を吐き、話してくれました。

「あの毬はな、俺のお祖母さん、つまりお前の曾祖母さんのものだ。どういうものであるかは俺も知らない。ある時、曾祖母さんが山に行って数日戻ってこなかった事があったらしい。探しても見つからずに、諦めかけた頃にふらっとあの毬を持って帰ってきたそうだ。何処に行っていたのか尋ねても『分からない』、毬に関しては『貰った』の一点張りだったらしい。見たなら分かるだろうが、相当いい物だ。貧しい時代にほいほいくれるわけが無いと曽祖父さんが問い詰めたそうだが、結局分からずじまいだ。」

「まぁ、綺麗な毬だからな。最初は渋ってた曽祖父さんもそのうち気に入って、結局捨てたりせずに持っていることにしたそうだ。家族には娘もいたんだが、曾祖母さんは決してその毬で遊びには使わせずに大切に奥の床の間に飾っていたらしい。」

「でも、奥の間で毬をつく音がするだとか、毬で遊ぶ子供の姿を見たとか、良くない話が出てきてな。曽祖父さんが厳重に封して蔵に仕舞ったらしい。毬を持ってきてから、曾祖母さんが体調を崩して臥せったって話もあるから、気味が悪かったんだろうな。」

「毬を仕舞ってからしばらくして、曾祖母さんが亡くなった。その後も悪いことが立て続けに起こって、あっという間に家は没落したらしい。まぁ、元々傾きかけていて、一時は持ち直したそうだがそれも力及ばず、今となっては一般家庭だ。ただ、曽祖父さんの言いつけを守って、あの毬は代々長男が管理しているんだ。」

私は父が語る話を黙って聞いていました。
蛙の声も、また流れ出した汗も気になりませんでした。
父は話を続けます。

「お祖父さんがそれを受け継いだ時、姉さん、つまり叔母さんがあの毬を見つけて触ったらしい。その時も今のお前と同じように怯えて『怒られた』『ごめんなさい』ってうわ言みたいに泣きながら繰り返してたよ。どうやら長男以外の人間が触ると、毬が怒るらしいな。結局、叔母さんも数日後にはケロッとしてたから、お前も大丈夫だ。安心しろ。」

そう言って、父はやっとニコッと笑いました。
その笑顔を見て、私は詰まっていた息をようやく吐き出すことでき、緊張で固まった身体をゆるゆるとほぐしました。

結局、毬についてはそれ以上聞けないまま、その日は就寝しました。

あれから数年、私はどうしても毬のことが頭から離れずに色々と調べてみました。
呪物に関することをはじめとして、民話や伝説まで。
調べを進めていくうちにきっとこういうことかな、という仮説が出来上がり、去年の帰省の時に確かめる意味を込めて、父に言いました。
何気なく、注意しなければ分からないような小さい声で、

「マヨヒガ」

この一言だけです。
父はニヤリと笑い、同じように一言、私に返しました。

「ワラシサマ」

どうやら、父は私と同じように毬について調べ、私と同じ結論に行き着いたようです。

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想像以上に長くなってしまいました。
拙文で読み辛い箇所もあると思いますが、ご容赦ください。

ほんのりと怖い話33

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