山のなにか

うちの爺さんは若い頃、当時では珍しいバイク乗りで金持ちだった爺さん両親からの何不自由ない援助のおかげで燃費の悪い輸入物のバイクを暇さえあれば乗り回していたそうな。

ある時、爺さんはいつものように愛車を駆って
山へキャンプへ出かけたのだそうな。

ようやく電気の灯りが普及し始めた当時、夜の山ともなればそれこそ漆黒の闇に包まれる。
そんな中で爺さんはテントを張り、火をおこしキャンプを始めた。
持ってきた酒を飲み、ほどよく酔いが回ってきた頃に何者かが近づいてくる気配を感じた爺さん。

「ツーリングキャンプ」なんて言葉もなかった時代。
夜遅くの山で出くわす者と言えば、獣か猟師か物の怪か。
爺さんは腰に差した鉈を抜いて、やってくる者に備えたそうだ。

やがて藪を掻き分ける音と共に、「なにか」が目の前に現れたのだそうな。
この「なにか」というのが、他のなににも例えることが出来ないものだったので「なにか」と言うしかない、とは爺さんの談である。
それはとても奇妙な外見をしていたそうだ。

縦は周囲の木よりも高く、逆に横幅はさほどでもなく、爺さんの体の半分ほどしかない。
なんだか解らないが「ユラユラと揺れる太く長い棒」みたいのが現れたそうだ。
爺さんはその異様に圧倒され、声もなくそいつを凝視しつづけた。
そいつはしばらく目の前でユラユラ揺れていたと思うと、唐突に口をきいたのだそうな。

「すりゃあぬしんんまけ?」

一瞬なにを言われたのかわからなかったそうな。
酷い訛りと発音のお陰で、辛うじて語尾から疑問系だと知れた程度だったという。
爺さんが何も答えないでいると、そいつは長い体をぐ~っと曲げて頭と思われる部分を爺さんのバイクに近づけると、再び尋ねてきた。

「くりゃあぬしんんまけ?」

そこでようやく爺さんは「これはオマエの馬か?」と聞かれてると理解できた。
黙っているとなにをされるか、そう思った爺さんは勇気を出して「そうだ。」とおびえを押し殺して答えたそうだ。

そいつはしばらくバイクを眺めて(顔が無いのでよくわからないが)いたがしばらくするとまた口を聞いた。

「ぺかぺかしちゅうのぉ。ほすぅのう。」(ピカピカしてる。欲しいなぁ。)

その時、爺さんはようやくソイツが口をきく度に猛烈な血の臭いがすることに気が付いた。
人か獣か知らんが、とにかくコイツは肉を喰う。
下手に答えると命が無いと直感した爺さんは、バイクと引き替えに助かるならと「欲しければ持って行け。」と答えた。

それを聞いソイツは、しばし考え込んでる風だったという。
(顔がないのでよくわからないが)
ソイツがまた口をきいた。

「こいはなんくうが?」 (これはなにを喰うんだ?)
「ガソリンをたらふく喰らう。」 爺さんは正直に答えた。
「かいばでゃあいかんが?」 (飼い葉ではだめか?)
「飼い葉は食わん。その馬には口がない。」 バイクを指し示す爺さん。
「あ~くちんねぇ くちんねぇ たしかにたしかに。」 納得するソイツ。

そこまで会話を続けた時点で、爺さんはいつの間にかソイツに対する恐怖が無くなっていることに気が付いたという。

ソイツはしばらくバイクの上でユラユラと体を揺らしていたがその内に溜息のような呻き声を漏らすと

「ほすぅがのう ものかねんでゃなぁ」(欲しいけど、ものを食べないのでは・・・。)

そう呟くように語ると、不機嫌そうに体を揺らしたという。
怒らせては不味いと思った爺さんは

「代わりにコレを持って行け。」

と持ってきた菓子類を袋に詰めて投げてやったという。
袋はソイツの体に吸い込まれるように見えなくなった。
するとソイツは一言「ありがでぇ」と呟いて山の闇へ消えていったという。
その姿が完全に見えなくなるまで残念そうな「む~ む~」という呻きが響いていたという

爺さんは、気が付くといつの間にか失禁していたという。
その夜はテントの中で震えながら過ごし、朝日が昇ると一目散に山を下りたそうだ。

家に帰ってこの話をしても、当然誰も信じてはくれなかったがただ一人爺さんの爺さん(曾々爺さん)が

「山の物の怪っちゅうのは珍しいもんが好きでな、おまえのバイクは山に入った時から目を付けられていたんだろう。 諦めさせたのは良かったな。意固地になって断っておったらおまえは喰われていただろう。」

と語ってくれたのだそうな。
以来、爺さんは二度とバイクで山に行くことはなかったそうだ。
ちなみに、件のバイクは今なお実家の倉に眠っている。

山にまつわる怖い・不思議な話23

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