海の話です。
日露戦争にも海軍兵士として従軍したという村の古老の話です。
(その老人は、バルチックじいさんと呼ばれていました)
太平洋戦争中は、徴用されて太平洋に監視船(漁船w)ででていると、たまに米軍機から爆撃を受けたそうです。
それで亡くなった漁民が少なくなかったとのこと。
そのような監視をしていたある日、不思議な経験をしたそうです。
波の静かな陽光が降り注ぎ戦争をしているということを忘れるくらいの日和だったとのこと。
あやしい船影も認められなかったのですが、急に、船の下を大きな黒い船影が横切るのが見えたそうです。
海に太陽光が差し込んでいると浅い深度にいる潜水艦は船上の見張り台から見えることがあるので、敵の潜水艦と遭遇したと考えました。
おそらく、こんな漁船には魚雷を放つまいと思いつつも緊張してその場所からできるだけ陸側に逃げようと舵を切りました。
普通は浅いところを航行する潜水艦は潜望鏡を出しているらしいのですが、それが見られない。
必死になって逃げていると、遠くから低空で航空機が迫ってきます。
その時にはすでに制空権は日本にはなかったので、敵機来襲ということで戦死を覚悟したそうです。
しかし、その米軍機は(機種と塗装でそれと確認できたそうです)、老人たちがのっている漁船(監視船w)には目もくれず、おそらく、先に遭遇した船影に向けて爆雷攻撃を仕掛けたそうです。
高い水柱が何回も上がって、そのために、衝撃波を受けたそうです。
これは、日本の潜水艦が攻撃されているのか?と考え、撃沈されたら乗員を救助しなければならない、ということで、その船を止めてその海域にとどまったのですが、日暮れまで待っても、なんの漂流物も見つけられず、諦めて帰港したそうです。
その米軍機による雷撃については、軍司令部に報告したそうですが、その後、日本海軍がどう対応したかは連絡はなかったとのこと(当たり前ですが)。
海にまつわる怖い話・不思議な話19