二人の距離

平日の午前中、都内の地下鉄に乗車していたときのことです。
車内はかなり空いていて。歯の抜けた櫛のように空席があり、立っている乗客はオレを含めて3~4人ほど。

扉の横のスペースに立ってボーッとしていたところ、とある駅を発車した瞬間、妙な違和感にとらわれました。

その原因は、オレと扉を挟んで1mほど前に立っている二人の男性でした。

ひとりは扉横の手すりを左手でつかんで扉と平行に立ち、窓に顔を向けている推定年齢50代の男性です。
この男性はオレと同じ駅で乗り込んだので、よく覚えています。
8割がた白髪の短髪で、黒セル眼鏡に無精髭、黒のジャケットによく洗いこまれたジーンズ、スニーカーはおそらくリーボックのポンプフューリーと、かなり若めのコーディネートです。

この男性の背後に、直前の駅で乗り込んできたスーツ姿の若いサラリーマンが立っていました。片手で器用に英単語帳のようなものをくくり、片手は吊革を握っています。

で、違和感の原因。二人の距離感が極めて不自然なのです。
ものすごく、近い。不謹慎なたとえでいうと、痴漢ってこういう距離でするんじゃないか、というような距離。
若いサラリーマンが痴漢役で、お洒落な50代男性が被害者役です。
もう少しで股間が触れますよ、という勢いなのです。

もしやマニア向け、男同士の痴漢ビデオの隠し撮りが行われているのか?
とすら考えて思わず車内を見回しましたけれど、もちろんそれらしい気配はありません。なにより、背後から近づかれている50代男性が、その距離感を明らかに訝しがり始めたではありませんか。

でも幸いにして、ほどなく停車した駅で若いサラリーマンは下車していきました。
50代男性はホッとした様子…もつかの間。こんどは大きなディパックを背負い、ニンテンドーDSに夢中になっている若い男が乗り込んできて、また50代男性の背後すれすれに立ったんですよね。

繰り返しますけど、車内はぜんぜん空いているんですよ?
何もそんなに近づく道理もありません。再び訝しがる50代男性。
今度はすぐさま咳払いなどして「近すぎるよ!」のアピールをしていましたが、背後の男性の耳にはニンテンドーDSから伸びるイヤホンが挿さっているせいで、思いは通じませんでした。

自分からどけばいいのに、とも思いますが、なんとなく「負け」を認めてしまうようで嫌だったのかもしれません(その気持ち、わかります)。

オレは次の停車駅で下車しましたが、そのときもまだ距離は近いままでした。
たった数分で若い男を二人も引き寄せてしまった50代男性には、なにか特別なオーラでもあったんでしょうかね。

不可解な体験、謎な話~enigma~ 53

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