食べられないスイカ

今から十年くらい前、お盆に家族で東北の実家へ帰省したときの話

そのころ両親はまだ健在で、俺の妹の一家といっしょにスイカ栽培農家をやってた。
雇い人を何人か入れてけっこう大規模だった。
俺は女房と小学生の息子と娘を連れて車で里帰りして、着いてすぐ座敷でビールを飲んでた。

実家は典型的な古い農家の作りで、井戸もあった。
エアコンはつけてないが、縁側の戸を全部開け放っていれば風が通ってけっこう涼しかった。
ばあちゃん(俺の母親)が、その井戸で今年のスイカを冷やしてるからと言ったんで、息子が「取ってくるよ」と言って庭に出て行った。
そしてでかいスイカを抱えて入ってくるのが見えたんで女房に、「あいつ一人じゃ危ないからお前いって切り分けてこいよ」と言った。

それで二人で台所でスイカを切ろうとする声がしてたんだが、突然「うわわわっ」「きゃー何これ」という悲鳴が重なって聞こえた。
俺が「何やってんだ」と言いながらいってのぞいてみたら、息子は床に尻餅をついてへたりこんでいるし、女房は包丁を持ったまま壁まで後ずさって震えてる。

「何だ、どうしたんだ」と聞くと女房が「・・・スイカ、スイカを切ったらちょうが飛び出してきた・・・」と答える。
俺がまな板の上を見ると、二つに割られたよく熟れたただのスイカがあるだけなんだ。

「チョウチョが入ってるなんてありえないだろ」とスイカを手にとってみながら言うと、息子が「お父さん、チョウチョじゃなくて内臓の腸だよ、スイカを切ったらでろーっとこぼれてきたんだ」
俺「んな、馬鹿な」と言って女房のほうを見ると、顔を上下させて息子の言葉を肯定している。

そのとき親父が台所に入ってきて「ああ、それ、そのスイカは手違いだ 今べつのを用意するから」と言ってそのスイカを新聞紙でくるんで納戸のほうに持って行った。
俺は女房らを落ち着かせて座敷に戻ると、しばらくして親父が戻ってきて、
「スマンかった、何かの間違いで食べられないスイカが混じってた」
俺が怪訝な顔をしていると親父は「子供らが怖がるから、夜、酒飲むときに話してやるよ」

で、こっからは親父の話。

「お前がこの家にいた頃は、まだ米を作ってたから知らなかったのはしょうがない。わざわざ言うまでもないと思ってたしあの田んぼをつぶしてスイカ栽培に変えたんだが、スイカは農協の指導もあって初めの年からよくできて、収入も米作よりよかった。それで土地を買って畑の面積を増やしていったんだよ。

次の年、家族用のスイカを何個か残して出荷して、食べようとして割ったら、中から人の歯が出てきたんだ。一本二本じゃなくて、上の歯、下の歯まるごとで、アゴの骨もついてた。それを見たときは今日のお前たちみたいに腰を抜かしたが、歯はすぐに消えてなくなって普通のスイカに戻ったが見間違いじゃないと思った。

それでいろいろ調べたんだが、割ると中から人の体の一部のように見えるものが出てくるのは、下郷に通じる砂利の道をつぶして畑にした一画から獲れたものだけってことがわかった。・・・お前も思い当たることがあるだろ 小学校の社会の勉強でやってたじゃないか。戦争中に下郷の娘らが勤労奉仕に出てくる途中、アメリカさんの機銃掃射でバラバラにされた場所だよな。このことがわかるまで三年かかった。

どうして、そこにスイカの作付けするのをやめなかったかって?いや、やめようとしたんだ で、小さいお社でも建てようかと。そうしたら夢に出てくるんだよ もんぺをはいた血まみれの娘さんたちが今なら中学生の年頃だろう。それでスイカを植えるのはやめないでくれって言うんだ。そこで獲れたスイカは○○寺に奉納して供養してもらってほしい、って頼んでくるんだな。そうすれば少しずつ成仏できますって。

それからはその区画で獲れたスイカは納戸に集めておいて、お盆の前日にお寺に持っていく。このことは住職にも話をしてある。いやスマンかった、子供らはそうとう驚いただろう ひどい間違いがあったんだよ。お前から何とかうまく話してやってくれ」

ほんのりと怖い話86

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