西日本の洪水騒ぎで思い出した、俺の子供の頃の体験というか日常
俺の実家は東京の多摩川に近く、中学に上がるまでは毎日のように川原で遊んでいた。
実家近くの多摩川は、水が流れてる川と、台風などの増水で流される石だらけの川原と、増水しても踏ん張ってる雑木林が複雑に入り組んでいて、夏は川で泳いだり、秘密基地を作ったり、家から近いのに少年の冒険心を満たしてくれた。
川原には近所の友達と遊びに行くんだが、なんせ実家の目と鼻の先だから、暇なときにひとりで遊ぶことも多かった。
川原でひとり遊びをするとき、俺は藪に分け入り小川を乗り越えて、新しいルートを探すことが好きだった。
人が歩かない場所にずんずん入っていくと、篠竹の茂みがあったり、合歓木が良い匂いの花を咲かせてたり、やたらとデカい流木があったり、小さな池を見つけたり、小学生の俺にとってそれらは大発見で、とにかく面白かった。
そういう小冒険を続けているうちに、雑木林の中に神社がある事を知った。
小さい神社で、建物の屋内は4畳半くらい、かなり古い木造だけど手入れされた感じで、手水鉢にはちょろちょろときれいな水が満たされてる。
小さな石の鳥居があって、賽銭箱の上にある鈴もピカピカしてて、なんとも気分の良い神社だった。
神社のある場所は川原の中程の雑木林の中で、境内の真ん中から林の木々の隙間に目を凝らすと、俺の家の屋根とか、対岸の運動場の事務所が見えた。
俺は川原の地形を把握してたから、神社はだいたいこの位置にあるだろうって見当はついていた。
だからひとりで川原で遊ぶときは、今まで行ったことのないルートから神社を目指すのが、定番の遊びになっていた。
参道以外、神社の周りは完全に雑木林と藪で、だいたいの見当をつけて藪のなかに入ってもたどり着けない事も多かったし、予想と違う方向から神社に到達したり、建物の真裏に出たりして、そういうのも面白かった。
神社からの帰りは家の屋根を目指して藪を漕いでいけばすぐ抜けられたから、本当に手軽な遊びだった。
まあそんな感じで川原でひとり遊びしてたんだが、多摩川は数年に一度、台風でかなり増水することがある。
俺が小学生だった頃にもすごい大雨が降って、河川敷の護岸されてる高さギリギリまで濁流が迫ることがあった。
ちょっとの増水で流される石だらけのところはもちろん、点在してる雑木林も全部濁流に浸かってしまった。
数日経って川が落ち着き、俺は神社に行ってみた。
雑木林の木には、流されてきた草のクズがこずえの近くまで大量に引っ掛かっていて、この場所も完全に水に流されたんだとわかった。
下生えの薮はまだ水を含んでいたけど、流れの方向に全部寝てしまっていたから歩くのは簡単で、今までにないくらい楽に神社にたどり着いた。
幸いなことに神社は無事で、きれいなものだった。
雨に降られたからか、いつもより綺麗ですらあった。
神社が無事だったことに満足して、俺はしばらくそこでぼーっとしてた。
それで、こう、境内から俺の家の屋根を見ようと雑木林の間を見ようとしたら、神社の周りの木には、水に流された跡が残っていた。
葉は流された方に引っ張られてるし、すすきなんかの枯れ葉とプラスチックやペットボトルの交ざったゴミが根本からこずえまで、びっしりと引っ掛かっていた。
周りの木を見る限り、神社の屋根よりも高い場所まで、水が来ていたはずなんだが、神社は濁流に濡れた感じが全然しない。
誰かが掃除したのかとも思ったが、汚れをぬぐったような様子でもないし、この神社を掃除する人を見かけた事がない。
そして、そもそも台風で増水した流れに耐えられるような建物じゃないんだ。
とにかく不思議で、妙に怖くなって、その日はすぐ家に帰った。
まあそれからもちょくちょく神社には行っていたが、俺が中学に入る頃、神社はなくなった。
どうして増水で流される場所に神社を建てたのか、どうして流されてもきれいなままだったのか、かなり古い建物のようだったけど、どうして移転などでなく、きれいに無くしてしまったか。
とにかく謎の多い神社だった。
不可解な体験、謎な話~enigma~ 106