ヒサル

私はずっとある村に住んでいるんですが、小学校の頃、一度だけ不可解な体験をした事があります。

私は友達何人かとで川でザリガニを採っていました。

捕まえたザリガニを決闘させるために一旦岸に上がったのですが、その時、山から出てきた赤っぽい犬が田んぼを横切ってこっちへ歩いてくるのが見えました。

ヨタヨタとふらつきながら近づいてくるにつれ、私はその犬がケガをしていることに気が付きました。
もともと白い犬だったのが毛皮が血だらけで、だから遠目に赤っぽく見えたのです。
頭や手足、口や目からも血がポタポタと滴り落ちて息も荒く苦しそうでした。

そいつは急に私達の方に頭を向け走り出しました。
ケガのせいかスピードは遅いのですが、騒がしく吠え立てることもなく、ひたすらフッフッフッと荒い息を吐きながらジグザグにこっちに向かってくるのが逆に不気味な感じがしました。

「おい!山犬がこっちに来るぞ。逃げようぜ!」

友達もあわてて川から出て靴を履いて逃げ出しました。
犬は方向を変えて私達の後を追いかけてきます。
近づくにつれ、足が折れて白い骨がはみ出しているのが分かりました。

「ぉおい!何やっとんだ!逃げぇ!お前ら!」

怒鳴り声がしたので振り返ると、山犬の後ろを走るおじいさんの姿が見えました。
林業をやってる修さんが、鉈を持って凄い形相です。
修さんは私らのすぐ後ろで犬に追いつくと、鉈を振り回しました。

「お前ら!村で大人呼んでこい!」

犬は、修さんに近くにあった棒きれで滅茶苦茶に叩かれていましたが、吠えも鳴きもせずに相変わらずフッフッフッと息を吐いてぐるぐる回っています。
よく見ると殴られる前から全身傷だらけだったみたいで、毛皮がいろんな所で破れて赤い肉と白い骨がはみ出ていました。

腹から内蔵だかなんだか正体不明のものが何本かぶら下がっていて、口は血だらけで開いたまま、そこから黒っぽい小豆色の舌がブラブラ垂れ下がっています。
耳も破れて取れかかっているし、目は真っ黒で潰れているのかもしれない。

そんなボロ切れみたいな状態なのに死んでなくて、声もなく暴れている山犬を見ていると小便ちびそうなくらい怖くなってきました。

「なにボーっとしてるんだ。早く逃げんかい!血がかかるぞ!」

修さんが鬼のような形相で怒鳴るのを見て、私は村の方へ走って逃げました。
友達がゲエゲエ吐きながら少し遅れて走ってきます。

私と友達は村の集会所へ連れて行かれました。
窓から外を見ると、村の大人が犬の所に集まって大騒ぎになっていました。

しばらくして煙が上がったと思うと、あたりにも物凄い臭いが漂いはじめました。
後で聞いたら、犬に油をかけて焼いたそうです。
私と友達は臭いとさっき見たものの気色悪さに便所で吐きまくりました。

その日のうちに私達はお寺へ連れて行かされました。
坊さんは警察みたいに犬を見た時間や場所やその時の状況なんかを詳しく聞いてきました。
腕に包帯を巻いた修さんも来ていて、私達の後でお堂の中に呼ばれました。

その後、修さんと一緒にお経を読まされたり、お札を焼いてその煙をかけられたりしてから、ようやく帰っていいと言われました。

帰り際、友達が坊さんに「あの犬は何だったんですか?」と聞くと、坊さんは「化け物に憑かれたんだ」と言いました。
猿を捕まえて、中に入り込んでしまうそうです。

「本当は猿に化けるが、最近は猿が減ったので、犬に化ける」

とも言っていました。
後で修さんに聞くと「ヒサル」だと言っていました。
どんな字かは分かりませんが、たぶん「被猿」じゃないかと思っています。

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