もうだいぶ昔、浮遊霊様っていう遊びにハマっていた時期がある。要はコックリさんの類。
名前なんて何でも良かったし、コックリさんをやっても、どうせ近寄ってくるのはそこら辺の浮遊霊という話で、誰かが悪ノリして付けた名前だったと思う。
ただ、10円玉で試みて全く動かなかったことが度々あって、エンジェル様だかキューピット様のようにシャープペンを使ってやっていた。これが面白いように動く。
友達がいっていたのだが、コックリさんの類に自分の寿命を聞いちゃいけないらしい。
それでも、やはり自分の未来については知りたいところ。
ある日、未来についての質問もネタが尽きかけていた時、こんなことを聞いてみた。
「俺はこの先、どんな人生を送りますか?」
カーテンを締め切り、蝋燭の光が不気味に揺れている薄暗い俺の部屋、そこにはいつものメンツが四人。 シャープペンがスルスルと動く。
『…て…ん…ら…く』
部屋の温度が少し下がった気がした。
「てんらく…転落?この先、転落人生ってことかよ?」
友達のひとりが笑ったので内心かなりブルーだったのだが、おどけたり悪態をついたりして見せた。
すると別の友達が、少し慌てたように、おい、あまりふざけるな、ヤバイって、と声を荒げた。
少しの沈黙の後、ついさっきまで俺を笑っていたはずの友達が、何の前ぶれもなく、俺達四人のど真ん中に向かって大量のゲロを吐き、それは儀式に使われていた紙を中心に広がっていった。
その後は軽い地獄絵図。すっかり気分も萎えて、解散することに。
遠足のバスでの惨劇などを思い出しながら、『部屋の掃除ダルイなぁ』などと自分の哀れんでいると、派手に吐いた友達が両脇を抱えられて外に連れ出されたのを見計らって、ひとりの友達が真顔で近づいてきた。
「だからヤバイって言っただろ?どんな浮遊霊だか地縛霊が来てたか分からないんだぞ?タチ悪いのだったらどうする。しばらくは部屋の四隅に盛塩でもしとけよな」
その友達は、自称『見える人』だったが、見えない俺には、否定も肯定も出来ない存在だった。 その時までは。
その夜は本当に寝苦しい熱帯夜だった。
汗だくなのに、頭からつま先まで布団をかぶって、みの虫状態。
もう何時間こうしているだろう。
『盛塩しとけ』…そんなことを言われると、微かな物音でさえ、不吉な者の仕業に思えてしまう。
真に受けて、その盛塩を実行してしまったのだから尚更だ。
布団から足を出したら冷たい物に触れてしまいそうで怖い。
コンコン
静寂の中、不意に『何か』が窓を叩き、控えめな音とは裏腹に、心臓を撃ち抜かれたような衝撃が走り、体が脈打った。
コンコンコン
その音がかき消されるくらい、鼓動は激しく鳴り響いていた。
ドンッ
体がビクッと脈打って、情けない吐息混じりの声が漏れそうになり、慌てて両手で口を塞ぐ。
ドンドンドンッ
これまで幽霊や呪いなど半信半疑。
生涯そうだろうと思っていた。
その分、この現象に対する衝撃は大きかった。
その音に対して、脳はフル回転で現実的な原因を検索している。
酔っ払い。変質者。友達の悪戯。
しかし、どう頑張っても脳裏に浮かぶのは、浮遊する人型の物体が窓を叩く絵図だった。
二階にあるこの部屋の窓を。
どのくらい経っただろうか。いつの間にか窓を叩く音は消えていた。
布団の隙間から部屋の様子を伺う。真っ暗な部屋。
布団の中には、吐いては吸った生暖かい二酸化窒素が充満していて、死ぬほど息苦しい。
もう限界だ。意を決して布団から頭を出してみる。
別にたいしたことはない。見慣れた部屋だ。
時計を見ると蛍光針の位置が二時半の辺りを指していた。
まだまだ朝は遠い。 だが恐怖心はピーク時の半分以下。
しかし小さな物音ひとつで、あっという間にピークに逆戻りするだろう。
そう思うと、まるで爆弾を抱えているような気分になった。
毎晩、こんな恐ろしいことが続くのだろうか。
これからずっと…。いや、化け物の仕業とも限らないぞ。
再び現実的な原因を探してみる。今度は冷静に。
『やっぱり、あいつらじゃないのか?』数時間前までこの部屋にいた友達三人が、ハシゴに乗って窓を叩いている姿を想像して思わず笑いそうになった。
ひとりがハシゴの上、残りの二人はハシゴを押さえている姿だった。
それぞれ笑いを堪えながら。
『やりかねない。だから盛塩なんて言ったのか。ビビらせる為に』
もう物音がしたところで怖くなんかない。
ガバッと上半身を起こした。大量の汗で、パジャマが体に貼り付いて気持ち悪い。
窓を見ると、曇りガラスの向こうは真っ暗で、何のシルエットもない。
忍び足で窓の側まで近づき、耳を澄ませた。外からは何も聞こえない。何も気配を感じない。
『あいつら、もう帰ったのかな』
少し寂しくなった。
ゆっくり窓の鍵をあけ、音を立てないように、少しだけ窓をあけた。
そしてその隙間に片目だけ近づけて、外の様子を伺う。
窓の外から同じように片目が覗いていた。
「うわあああああああ」
俺は悲鳴をあげながら大きく仰け反り、腰を抜かした。
腰を抜かし床にへたれ込んだ状態で窓を見上げると、長い髪の『それ』は、足場がないはずなのに、その空間で直立して、顔半分を窓の隙間に密着させていた。
俺を見ている。血の通った人間の目ではない。 ニヤリと変形した口元。歯がなく、血が滴っていた。
「…どけて…」
喉が潰れているような声。
その女は右の掌で窓をさすりながら言った。
その手は曇りガラスの向こうで真っ赤に滲んでいる。
「…どけて…どけて…」
盛塩のことだろうか。どけたらどうなる?想像もしたくない。
「…どけて…入れて…」
自分の楽観視を心底恨んだ。
息苦しい布団の中で耐え続けて窒息してしまった方が幸せにすら思える。
「…入れて…入れて…」
真っ赤な右手は、次第に激しく窓を叩く動作へと変わった。
耳を塞いだ。それでも何の変化もなく聞こえてしまう。
そして強く目を閉じた次の瞬間、誰かが肩を叩いた。
心臓が止まるか止まらないかの狭間で、聞き覚えのある声が聞こえた。
「どうしたの?そんなに叫んだら近所迷惑でしょ」
肩を叩いたのは母親だった。
息を切らせながら恐る恐る窓の隙間に視線を向けると、そこには人影もなく、残り少ない静かな夜が刻まれていた。
それからは真夏でも夜は雨戸を閉めるようになり、盛塩も続けていた。
あの女の霊についても思うところがあった。
たぶん自殺者の霊なのかも知れない。それも飛び降り自殺。
うちの近くにはT団地という、ちょっと有名な飛び降り自殺の名所がある。
自殺を望む人が、わざわざタクシーに乗って、そこまで訪れる、なんて噂まであった。
幸い、あの女な顔は半分だけしか見ないで済んだが、もしかしたら、もう半分はもっと損壊が激しくて、おぞましい顔だったのかも知れない。そう思うと背筋に冷たいものが走る。
それに『てんらく』という文字も、飛び降り自殺と無関係とは思えない。
何よりその文字に自分の未来を案じずにはいられなかった。
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