この墓標を見るたびに変だなぁと思っていたんだわ。
俗名 幸則(仮名) 昭和52年10月12日 享年49才
孩子 昭和52年10月12日
がいこさん(?)葬式の記憶はあるんだけど、亡くなったのは叔父だけだし(父の弟)。
叔父の娘はふたりだけど存命だし。
今年の正月、たまたまこの娘というか従姉妹と会う機会があったんで、永年の疑問をぶつけてみたんだ。
「ねぇ、きみたちにほかに姉妹いたの?」
すぐにピンと来たらしく、話してくれた。
従姉妹たちは、なんで父が一緒に風呂に入ったり、海水浴にいっても一緒に泳ごうとしたりしないのか不思議で仕方なかったんだって。
そりゃ妙齢の娘ならば話もわかるけど、幼児のころから父の裸を見た記憶が全くないらしい。
ある日思い切って尋ねたが要領をえない返事。
しばらくたって母に尋ねた。
母は最初はさぁなんでかねぇ、ととぼけていたが、執拗な問いかけに根をあげたか、おとうさんはおなかにでき物ができててね、それを人にみられるのがいやなんだよ、と教えてくれた。
幼い姉妹はそれで納得したらしい。
翌年の夏、下の方の娘が遊びを終えて帰ってくると、珍しく父がパンツ1枚で横になっていた。
おできの話を思い出して急にそれを見てみたくなった。
そっと近づくと右脇腹あたりにウズラの卵大のほくろのようなものがあるのを見つけた。
ただそれは皮膚の上にではなく薄皮1枚の下にある感じで、よく見ると、ゆるやかに動いていた。
なんとなくさわってみたくなって、手をそーっと伸ばそうとした瞬間、部屋の外からタッタッタッと誰かが駆け寄る音がして、下の娘を突き飛ばしたそうだ。
尻餅をついた娘が見上げると、紺色の着物を着て、白い帯を巻いた3才くらいの男の子が父の脇腹をかばうようにそっと撫でていた。
「痛いじゃないの!なにするのよ!!」娘は大声を上げた。
実はここで彼女の記憶は途絶えていた。
父も母も姉も夢でもみたんでしょと取り合わない。
もともとあまり物事を深く考えない妹もそうかなぁ、とこの出来事を忘れてしまった。
その後しばらくして叔父は体調の不良を訴えだし、即入院。手術後の経過は順調だったが、結局家に帰ることなくして亡くなってしまった。49才の若さだった。
そして今年の正月の話に戻る。
「父はもともと双子で生まれてくるはずだったのね。肉腫として診断されたものは、もうひとり生まれてくるはずだった兄弟だったのね。もちろん人間としての姿はなかったそうだけど、数センチの脊椎とおぼしき骨や、未形成の四肢のようなものもあったそうよ。それが袋状の組織のなかで、外に出たい、出たい、というような形で父の体内にずっととどまっていたみたい。 顔があったとは聞いていないけどね。」
と姉が語ると妹の方が「だからね、お父さんのお葬式のときにみんなでいっしょに弔うことにしたんだって。」
叔父の死因は肝硬変である。この肉腫自体は死因ではない。
あの日のことを思い出したの、高校生のとき。なぜか授業中に。
おとうさんのでき物はまるで眼球のようだった。怖いと言うより、そこになんで目があるのか不思議で仕方なかったのよ。
そしてあのとき突然現れた男の子、目がなかったの。その部分は肌色がひろがっているだけ。
ひょっとしたらあの子の目だったのかもしれないねぇ。
お母さんに話すときっと泣き出すから (とてもなかのよい夫婦でした)おねえちゃんにだけ話していたの。他人に話すのはあんたが初めてよ。
不可解な体験、謎な話~enigma~ 32