昔、オレがテレビ局関係の仕事をしていたときのこと。
家なんてめったに帰れやしなかった。
週に2回帰れればいいほう。
当然、生活なんてものもなく、冷蔵庫はいつもほとんど空。
ただしビールとウオツカだけは必ず入っていた。
のんべなんていいかげんなもんで、持てるだけ買って帰って冷蔵庫に入れたら、あとは飲めるときに飲むだけ。
なくなったらまた補充する。
ちょうど仕事の辛さがピークだったころは、帰ってきたら洗濯なんぞしに行かず(当然コインランドリー)、へべれけ飲みして倒れるように眠る状態。
体は疲れていたんだけど、そうでもしないと気持ちがむしゃくしゃして眠れなかったからなわけで。
当然、酒はすごい勢いで減っていく。
なくなったらまた買やあいいんだけど、自分でも呆れるほどのペースで飲んでいたらしい。
若くなければできないような不健康な生活はしばらく続いた。
初夏のある日、いつものようにへべれけ飲みしたオレは、気がつくとちゃぶ台に突っ伏して半分寝ていた。
時刻は明け方。
オレは一度眠るとたとえ職場や現場でも蹴りを食らわないと起きないタイプ。
「やべえやべえ」とか独り言をいいながら、そのときは布団で寝ようとそばの万年床に倒れこんだ。
数日後、やはり帰宅後はへべれけ飲み。
外の店とかだとけっこう飲めるオレだけど、自宅で一人黙々と飲んでいると酔いは深いようで、すでに気分は悪酔いに片足つっこみ状態だった。
「寝るか」と声に出さない独り言をついて布団に転がろうとしたその時、押し入れのほうで
「ガタン」
と音がしたんだ。
「ネズミかよバカヤロウ」とか舌打ちして、そのときは寝た。
さらに数日後、このときはしたたか飲んだけれど、体調がよかったのかへべれけには至らず。
翌日の仕事を考えてそろそろ寝ようかと思った矢先、
「ガタン」
と、また押し入れのほうで音がした。
当時住んでいた部屋は古びた木造アパートで、なぜか押し入れには天袋がない造りだった。
押入れには冬用の布団のほかは、古本だのなんだの(オレにとっては宝物だったけど)が詰め込んであった。
価値あるものはないけれど、ネズミになんぞ齧られたらたまらない。
そう思って押し入れを開けてみた。
天袋がないので‘押し入れの天井’がじかに見えたけれど、とくに隙間やネズミ穴は見当たらなかった。
「ま、いいか」とそのときのオレは布団に横になった。
翌日の仕事や上司の顔を思い出すと憂鬱になったけれど、電気を消して眼をつぶったら、すぐに眠気が襲ってきた。
どっかでなにかを引きずるような音が聞こえたようだった。
その日以来、部屋に帰る→飲みまくるのルーチンに、「ネズミの侵入を確認する」が加わった。
仕事はどんどんきつくなる一方で、冷蔵庫の酒の減り方も一層激しくなった。
もとより気が小さいほうなので、こんなんじゃ体壊すよなあとも思い始めていた。
アル中になるんじゃないかという不安もあった。
決定的だったのはあるとき取材で、アル中の幻覚症状を知ったときだった。
仕事も上司も同僚もすべてがイヤになりきった時期で、ちょっとした他人のミスのフォローでミスの張本人にされる事件があり、「帰れ!」と上司に怒鳴られ、いつもより早く帰った日だった。
傷心のオレは押し入れの宝物の山から、ポスターだのシナリオだの古本だのをごそごそ引っ張り出して眺めながら、仕事を辞める決心を固めた。
したたかに飲みながら、宝物を手にとっては、ガキの頃からの夢を思い出していた。
オレは泣いていたと思う。
こんな馬鹿げた仕事はやめてやる。
あのころはこんなに未来が楽しそうだったじゃないか。
いったいこの数週間でオレが飲んだ酒はどんなになった?
しみったれた話で、オレはレシートの類は捨てずに持っていた。
コンビニやら深夜スーパーで酒を買ったときのレシートが、財布や冷蔵庫のレシート袋からどんどん出てくる。
どう考えても異常な量だった。
酔っ払うとオレはますますしみったれる癖がある。
こんなに酒飲んじゃだめだよな。
ビールの空き缶だってものすごいじゃないか。
いったいアルミに再生したらどれくらいになるんだ?
あれ?
そんなに空き缶捨てたかな?
そう思いながら、目の前のビールをグビっと飲んで、ボーっと手にしたビール缶を眺めていたとき、押し入れの中で「ガタン」と音がした。
押し入れの襖は宝物を出すときに開け放ったままだった。
ふいと視線を押し入れの天井に向ける。
押し入れの天井の隅から、
人間の首が生えていた。
「うわあああああああああ!」
っと悲鳴をあげたのは、あろうことかその生首だった。
情けないことにオレは腰が抜けてしまい、ただただ逆さの生首が悲鳴をあげるのを見ていることしかできなかった。
その生首はもう一声「うわわ」とか短い悲鳴をあげて、スッっと消えた。
首の消えたあたりの天上は、80センチ四方の黒い穴が開いていた。
生首が消えた直後に、押し入れの天井がドカドカミシミシ鳴った。
ドカドカ、ミシミシ、ドシン、ドドン、ダダダダ・・・
遠ざかるそんな音は消えるようなことはなく、さらに続いた。
ドドドドド、ガン、ドン、バン!
最後の「バン!」がアパートのよその部屋の扉が閉まる音だと気がつくやいなや、抜けた腰ともつれた足のまま、オレも玄関の扉を開けた。
音はすでに廊下を走り過ぎて階段を下り始めていた。
オレが階段にたどり着いたと同時に、
ダダダダダダダダダン!
とひとしきり大きな音がした。
階段の下で、ジャージ姿の男が妙な形で倒れてうなっていた。
後日談
警察への事情説明が終わり、オレは押し入れの荷物をまとめに、近所の酒屋に段ボールをもらいに行った。
オレは仕事を辞め、荷物を実家に送り、友だちの家を転々としながらうろちょろすごし、いまの仕事についた。
オレの部屋に押し入れの天井から侵入し、オレの大切な酒を盗んで飲んでいたのはとなりの部屋の男だった。
こいつは屋根裏の散歩者を気取って(いたのかどうかは知らないが)、オレの部屋ばかりではなく、反対側の隣の若い女の子の部屋にも出入りしていたらしい。
男の部屋からその女の子の下着や服なんかも出てきたそうだ。
酒かっぱらい野郎はあのとき逃げようと慌てたため、階段から落ちて片足の脛を骨折し、もう片足のアキレス腱を断裂したらしい。
ほかにも手の指の骨も数本折ったとも聞いた。
オレが新しく借りた部屋は天井裏のないワンルームだった。
引越しを手伝ってくれた霊感持ちの友人は、「ここは出ますねえ」などとニヤニヤしながらクローゼットを見ていた。
引越し以来なんとなく、オレはクローゼットの扉を開けたままにしている。
ほんのりと怖い話5