友人の話。
配達の仕事が終り、夜の山中を配送車で走っていた時のことだ。
いつもは真っ暗な斜面に、灯りが揺れているのが見えた。
炎か? そう遠くはない場所みたいだ。藪中を歩いても十分掛かるまい。
消防団員でもある彼は、仕方なく待避所に車を停め、懐中電灯を手にして山に踏み込んだ。
近くまで寄ると、焚火の傍に小さな影がペタンと座り込んでいるのが見えた。
水色で皺だらけのパジャマ。真っ白だが、所々に灰色が混じっている髪の毛。
虚ろで無表情な、萎びたかのようなお爺さん。
「Sさん!?」
そこで膝を抱えていたのは、彼が先程まで訪れていた老人養護施設の入居者の一人だった。
時折会話しているだけの仲だが、見間違えることはない。
しかし、Sさんは車椅子を使わねば動けない筈だった。何でこんな所に?
「どうしたんですかっ」と大声を上げて、肩に手を掛けようとした瞬間。
老人の姿と焚火が、パッと掻き消えた。
いきなり漆黒の闇に包まれて、彼は軽いパニックに陥ったという。
少し経って落ち着いてから辺りを調べてみる。
誰かが居たという形跡も、火が焚かれたような痕跡も、何一つ残ってはいなかった。
慌てて引き返す。車まで辿り着く道中が、ひどく心細かった。
後日、再び施設を訪れた際にSさんと挨拶したのだが、あの夜のことについてはちょっと聞けなかった。
山間にあるといっても、ちゃんとした施設である。
夜中に足の悪い老人が数キロも離れた山中に出て行けるとは、どうしても思えなかったのだ。
彼はそれからしばらくの間、例の斜面に点る炎を何度か目撃した。
もう近寄るような真似はしなかったが。
数ヶ月後、残念ながらSさんは亡くなった。
すると、斜面の火も見られなくなったという。
どうやら最近、またあの斜面に火が点るようになったらしい。
「また誰かが儚くなるのかなぁ」
どことなく寂しそうに、そう彼は呟いた。
山にまつわる怖い話28