貸しはがし

父の友人で元銀行員の方、もう故人なんですが、名前はここでは藤木さんとしときます。

この話は藤木さんがまだ銀行員になって三年目くらいのころの話なんですが、その年の前の年に、有名な大手証券会社が破綻しまして、それからというもの金融機関の破綻が相次いでいたんですよね。

不況の波は、藤木さんの勤めていた銀行にも押し寄せました。
経営の苦しくなった銀行がすることと言えば、貸し渋りや貸しはがしですよ。
貸しはがしや資金の強制的な回収の様な気分の悪い仕事は、藤木さんの様な若手の行員にやらせてたそうです。

その年の夏、藤木さんは地元のある自営業の魚屋からの貸しはがしを命ぜられました。
その魚屋の主人、仮に玉井さんとしますが、彼は近所でもとても評判が良かったそうです。
店先ではいつも威勢が良くて、「まいど、500万円のお釣りだよ!」なんて言ってね。

歳は40になるかならないかだ、まだ充分元気なものですよ。
ただ流石に藤木さんが貸しはがしの話を持っていったときばかりは、顔も真っ青になって目も宙を泳いでたそうです。

ただ最後に玉井さんは「若いのにそんな話、辛かったろうな」と声をかけてくれました。
また「上司だからっておかしな命令された時には、肩引っ掴んで引き倒すぐらいの強さ持てよ」とも言ってくれました。
それで藤木さんが貸しはがしの話をした3日後に、玉井さんは自室の窓や戸をガムテープで密閉して、練炭自殺をしました。

藤木さんは銀行の代表ということで、玉井さんの葬儀に出向いたそうですが、遺族に追い返されました。
「何しに来た、人殺し」と罵られ、突き飛ばされたといいます。
藤木さんは雨の降る中、傘もささずに泣きながら歩いて銀行に戻りました。

銀行に戻りそのことを上司の田村さん(仮名)に報告すると、田村さんは一言「そう、わかった」とだけ言ったそうです。
藤木さん田村さん共々頭を下げ、何とか焼香を許されたのは葬儀から20日以上が過ぎたころでした。
遺族の方々の目は冷たかったそうですが、座敷に上がらせてもらい、仏壇の前で手を合わせました。

その帰り道、藤木さんが運転する車の中で田村さんがおかしな事を言ったそうです。
「手を合わせてる時にな、誰かに右肩を掴まれた気がしてな。何だか気味が悪くてほとんど集中できなかったよ」
田村さんというのは若いころには進んで貸しはがしをやってた人で、とても神経の太い人だったそうです。
その田村さんが不安そうな顔をしたのを、初めて藤木さんは目にしたんです。

その2週間以上後、田村さんが練炭自殺をしたそうですが、丁度その日は、玉井さんの四十九日でした。
藤木さんは直感的に「玉井さんに連れていかれたのか」と思ったんですが、不思議と自分は心配ないだろうとも感じたそうです。
そういうことがあったからではないんですが、やはり似たような嫌な仕事が続きましてね。
とうとう藤木さんは体調を崩して、銀行を退職しました。

それでしばらくは今で言うフリーターみたいなことをしてたんですが、結局新聞社に勤めることになりました。
と、ここまでが藤木さんから聞いた話なんですが、藤木さん、昨年の冬に自殺したんです。
練炭ではなかったですがね。

遺書には「色んな会社や商店にとどめを刺すようなことをしてきた報いだ」、というようなことが書いてあったと遺族からききました。
玉井さんに、詫びに行ったりしてるんでしょうかね。

ほんのりと怖い話67

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