山間の畔に建つ宿

異国の、山間の清流の畔に建つ宿に泊まった時の事。

同行のローカルスタッフが俺に言った。
「今夜は新月だから、外へ出ないで下さい。良くないものが出ます」
訳をきくと、彼はこんな話を聞かせてくれた。

───昔、ある男が祭りで一人の娘と知り合い、恋に落ちた。
娘の家は川向こうの山の中に会ったが、娘は毎晩のように舟を出し、対岸にある男の家を訪れ、二人は夜毎の逢瀬を楽しんでいた。
娘は雨の日も風の日も、男の許を訪れた。
男は大変心配し、無理をしてはいけないと言ったが、娘は笑って聞き入れなかった。

ある日、強い嵐が辺りを襲った。
山の木々は強烈な風に左右に捻られ、普段は美しく澄んだ水の流れる川は、茶色く濁った水がうねるように盛り上がっている。
夜になり、多少はましになったとは言うものの、雨脚はまだまだ強い。

これでは流石に娘も来れまい。
男はそう思っていたのだが、その夜遅く、ずぶ濡れになった娘が男の部屋を訪れた。
そして、いつものように愛を交わすと、男が止めるのも聞かず、激しい風雨の中を戻って行った。

男は不意に娘が恐ろしくなった。
きっと、妖怪か何かに違いないと思った。
そこで、両親にこれまでの事を打ち明け、どうすればいいかと尋ねた。
両親もたいそう驚き、それはきっと妖怪に違いないと言った。

鉄の矢で胸を射抜き、川へ沈めてしまえばいいだろう。
ただし、月明かりがあると、鏃が光って妖怪に見抜かれてしまう。
新月の夜なら、暗い上に、向こうが舟の舳先の灯りをなお強くするから好都合だ。
話はそう決まり、男はそれから何日も何食わぬ顔で娘を迎え入れた。

やがて、新月の夜、川向こうに一つぽつんと明かりが灯った。
水に煌く火影を映しながら、川面を滑るように近づいて来る娘の舟が、もう少しでいつもの場所に着こうとした時、ひゅんと鋭い矢音がし、鋼の矢がぷっつりと娘の胸を射抜いた。
娘は声も立てずに船の上に崩れ折れ、漕ぎ手を失った舟はそのまま川下へ流れ去った。

それから、新月の夜になると、殺された娘が舟に乗って姿を現すようになった。
自分が落命した辺りに舟を止め、一晩中立ち尽くしては、時折男の名前を呼ぶ。
間もなく、男は亡くなり、家は没落して、家人は夜逃げ同然にこの地を去った。

十数年後、大洪水で男の家はきれいさっぱり流れてしまったが、娘は相変わらず、新月の夜になるとその場所に現われると言う。
「その家の跡地に建ったのがここなんです」
ローカルスタッフは真面目な顔でそう言った。

───しかし、その夜彼女が来たかどうかは、爆睡していた俺には定かではない。

山にまつわる怖い話26

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