私の体験した話。
ある資格試験を受けた帰り道、車で山中を走っていた時のことだ。
考え事をしていたせいか、どうも曲がる道を一本間違えたらしい。
カーナビが自動で家への経路再検索をかけ始める。
やがて表示された道筋は、いまだ通ったことのないものだった。
面白い、新しいルートの開拓と行こうか。
何気なくそう考えて、指示されたままに走り出す。
道はどんどんと深い山奥へ進んでいく。
妙だな、どんなに遠回りしても、もうそろそろ町に着く頃なんだが。
到着予定時刻を確認すると、家まで二時間と表示されていた。
・・・道を間違えた時点では、家まで三十分足らずだったはず。
そこから二十分しか走っていないというのに、一体どういう道のりだ?
やがて、道は舗装もされていない狭い野道に繋がる。
慌ててカーナビ画面を確認すると、おかしなことに気がついた。
画面地図に表示されている道は、あくまでも舗装されているところまでだった。
それなのに、ルートの太いラインだけは、そこからもしっかりと伸びている。
地図登録もされていない細い道を、どうやって検索したというのだ?
その時点で、到着予定時刻は四時間にまで伸びていた。
気持ちが悪かったが、勢いでそのまま走ってみた。
真っ暗な山道を登りきった所で、ルートの表示は終っていた。
ナビは再検索に入ったまま、応答が帰ってこなくなってしまう。
到着予定時刻は、すでに八時間を超えていた。
八時間?そんな馬鹿な!と思い車を停めた。
もう一度最初からルートを探そうとしたが、カーナビの操作が効かない。
ここはどこだろう?道脇を見回す私の目に小さな影が映った。
明かりはヘッドライトしかなかったが、それでも微かに見えた。
車を囲む草むらの間に、沢山の黒い何かが覗いている。
目を凝らしているうち、唐突に理解が訪れた。
墓石だ。朽ちかけている。
いつの間にか、山奥の無縁墓地に迷い込んでいたのだ。
いきなり悪寒に襲われて、パニックに陥りかけた。
窓を閉め、車を矢鱈滅法に走らせた。
どこをどう走ったのかは、よく憶えていない。
気がつくと、私は薄暗い外灯の燈った、神社の側に来ていた。
慌てて車を停めると、ナビの電源を入れ直す。
すんなりと検索が始まり、家まで二十五分と表示された。
ルートに従い走ると、直ぐに見覚えのある国道に出る。
その後は何も起こらず、無事に帰宅することができた。
道を間違えてから、二時間近くが経過していた。
あの間、自分は一体どこを走っていたのか、気になって仕方がない。
その日の夜。
寝ていると、いきなりガラリッ!と音がした。
驚いて目を覚ますと、寝室の網戸が引き開けられていた。
とっさに身を起こし駆け寄ったが、近くには誰もいない。
窓の下には砂利が惹かれていて、音も立てず歩き去るのは不可能だ。
一体誰が開けたんだ?
気になってしまい、その夜は碌に眠れなかった。
翌朝、眠い目を擦りながら歯磨きをしていた。
髭を剃ろうと、電動剃刀を探す。
すると背後から、洗面台の上に剃刀が押し出された。
私の肘のすぐ下に、黒くて細い、人の手のようなものが一瞬見えた。
弾かれたように真後ろを振り向いたが、そこには何も見当たらなかった。
その日の仕事は、山中で井戸給水の配管修理をするものだった。
二人で組んで仕事をしていたのだが、相棒は途中で材料を買出しに出かけた。
しばらくは一人きりだ。
のんびりとスコップを使っていると、いきなり肩を叩かれた。
誰?振り向いてみたが、背後には棚田が見えるだけだった。
急に朝の出来事を思い出し、仕事どころではなくなった。
やがて帰ってきた相棒は、仕事が進んでいないと文句をつけた。
ホッとしたが、少し複雑な気分だった。
その日、冴えない気分で帰宅すると、猫が玄関前で長くなっていた。
家で飼っているわけではないが、居付いている猫だ。
いつもは餌にありつこうと甘え声を上げる猫なのに、その日の反応は違っていた。
じっと私を見ている。警戒しているかのように。
側まで近づくと、全身の毛を逆立て、次の瞬間逃げ出した。
・・・何もしていないのに・・・
私は少し傷心したが、気を取り直し飼い犬の所へ向かった。
散歩の当番なのだ。
犬は私を認め、尻尾を振り跳ね回ってまくって喜んだ。
まったく散歩に出る前の犬というのは、嬉しくて仕方がないらしい。
と、いきなり犬が跳ね回るのを止めた。
そればかりか、近づいた私に向かい、牙を少し剥いて唸り声を上げ始めた。
ショックだ、何で犬まで?
一瞬情けなくなったが、すぐに気がつく。
犬は私ではなく、私のすぐ背後に向かって唸っていた。
後ろに誰かいる!?
身動きできなくなった。誰かなどいる筈がないのだ。
それなのに、確かに犬は何かを認め、牙を剥いている。
膠着状態が続いたが、しばらくすると犬は唸るのを止め、また尻尾を振り回し始めた。
早くしろと急かすように、一声鳴く。
恐る恐る振り向いたが、やはり後ろには何もいなかった。
それからも時々、犬は私の背後に向かい低く唸っていた。
昨晩のこともあったので、その日は雨戸を閉めて寝ることにした。
そうは言ってもさすがに暑いので、寝る前に少し冷房をかけておいた。
内側のサッシ窓にもしっかりと鍵をかける。
少し神経質になっていたかもしれない。
やはり、夜半過ぎに目が覚めた。
小さいが、やはりガラリという音が聞こえたのだ。
窓を確かめると、サッシ窓も雨戸もしっかりと鍵が下りたままだった。
しかし、その間に挟まれた網戸だけが、半分ほど引き開けられていた。
無言で網戸を戻すと、つっかえ棒を強引に噛ましてから、寝た。
つっかえ棒をした次の夜。
ふと目が覚めた。コンコンという小さな音が聞こえていた。
誰かが窓を叩いている。
無視していたが、しつこく叩かれたので、段々と腹が立ってきた。
おもむろに起き上がり、窓まで歩いて一発張り手をかましてやった。
その夜は、もう音はしなかった。
異変が起こり始めて三日目、仕事で外回りをしている時のこと。
後ろからパッシングしてくる車がいた。
誰かと思えば、消防団の仲間だ。
近くのコンビニの駐車場に入ると、彼も後を着いて来た。
手を上げて挨拶をすると、向こうも挨拶を返してきたが、
「あれぇ?」
いきなり素っ頓狂な声を上げる。
何事だ?と尋ねると、
「いや、後部座席に女が座っていたから冷やかそうと思ったんだけど。 見間違えかな。確かに見えたんだけどなぁ」
見間違えだ。そう言い切って、それ以上話題にはしなかった。
その夜は、何も起こらなかった。
気持ち良く朝を迎え、もう解決したのかなぁ、とのんびり考えた。
ホッとしながら外に出て、新聞を取りに行く。
戻る途中で嫌な物を見つけてしまった。
鼠の頭だ。猫の食べ残しらしい。
丁度、私の部屋の窓の下に落ちていた。
顔をしかめ、火箸で取り除く。
いつの間にか猫が現れ、私のすることをじっと見ていた。
狩りは結構だが、こんな所に捨ててくれるなよ。
猫にそう語りかけて家に入った。
それからも何回か、鼠の残骸が窓の下に落ちていた。
そのうちに、私は妙な思いに捕らわれた。
鼠が捨てられている時は、窓を叩く音がしない日と、不思議にも一致していたのだ。
これはひょっとして、猫なりの魔除けとして置かれているのではないか。
我ながら馬鹿々々しいとは思ったが、どうもそんな気がしてならなかった。
しかし、この今朝も、鼠の死骸がうち捨てられていた。
・・・やはり、単なる偶然だったのかもしれない。
睡眠不足でも、変な物に憑きまとわれようと、人間、欲望というものは有るようだ。
夜遅く自分の部屋で、知人から貰ったDVDビデオを引っ張り出した。
ラベルには「世界名作全集」などと下手な字で書かれている。
ここでは、内容について詳しくは語らない。
いそいそとプレイヤーの準備をしている手が、不意に止まった。
まだスイッチを入れられていないテレビのディスプレイに、部屋の様子が映っていた。
テレビの前に座った私。
そして、私の後ろに立っている誰か。
直視するようなことはせず、おもむろに手近なDVDに入れ替え、スイッチを入れた。
始まったのは「キャプテンスーパーマーケット」だった。
しまった! ドリフを選んだつもりが、よりによってホラーなぞ選んでしまった!
焦っていると、背後の障子がタン、と音を立てた。
理由はわからないが、何かが部屋から居なくなったことは理解出来た。
スプラッタホラーはお気に召さなかったらしい。
何となく、ざまあみろ、と思った。
私の仕事業務は営業も兼ねているので、携帯電話をよく使う。
ある下請け業者と話している時に、相手が奇妙な指摘をしてきた。
「あれ、今どこにいますか?」
新築の現場だけど。釘打ちの音が聞こえるでしょう?
「やっぱりそうですよね。じゃあ電話が混線でもしているのかな」
何のこと?
「いや、誰か女性が一緒にいるのかと思って。 時々クスクスって笑い声が聞こえるんですよ。」
この辺は、電波状態が悪いみたいだからね。
そう答えて、電話を切る。
既に、何人かに同じことを言われていた。
努めて気にしないことにした。
そんな中、商工会の会合に参加した。
途中、電話を受けたので抜け出し、ついでにトイレに行くことにした。
会議所のトイレは電気が消されており、誰も居ない。
夜も遅いので、当然と言えば当然だ。
用を済ませ手を洗っていると、すぐ背後から声が聞こえた。
微かだが、間違いなく女性の声だ。
♪フンフフ~ン♪と、鼻歌をハミングしている。
ゆっくりと振り返る。
予想はしていたが、誰も居なかった。
しかし、ハミングは楽し気に続いている。
出来るだけそっと、トイレを出て電気を消した。
席に戻りしばらくして、先輩が「トイレ」と言って部屋を出た。
帰ってきた先輩に、何か妙なことはなかったと、思わず尋ねてしまった。
「いや、」と先輩は苦笑いして言った。
「なぜか嫌な雰囲気を感じたんでね。結局行かずに、我慢することにした」
ポツポツと、自分の今の状況をかい摘んで説明した。
自分でも何が起こっているのか、本当はよくわかってはいないのだが。
「何か拾ったんじゃないか。注意しろよ、本当に」
気にかけてくれて嬉しかったが、一体何をどう注意すれば良いのだろう。
まったく見当もつかない。
猫の魔除け?のせいか、窓が音を立てることは少なくなっていた。
しかし、事態は更に悪くなっていたようだ。
その頃、私は左半身を下にして寝るようになっていた。
丁度、壁と向き合うような格好で寝ていた。
うっかり右を向いてしまうと、目の前にぼんやりと見えることがあったからだ。
こちらを向いて揃えられている、裸足の爪先が。
もっとも、見えるというだけで、別に何も起こりはしなかったのだけど。
その夜は、地元の祭りの前日だった。
この数日の寝不足が祟ったのか、布団に入るとすぐに寝てしまったらしい。
明け方、気がつくと畳の上で寝ていた。
寝ている間に、涼を求めて布団から畳の上に転がっていったのだろう。
頭が、コツンと畳に落ちたせいで目が覚めたのだ。
誰かが頭の下の枕を抜き取ったらしい。
寝ぼけ眼で身体を起こすと、すぐ横の布団上に枕があった。
もう一眠りしようと引き寄せたのだが、その枕に違和感を覚えた。
冷たい。これは今まで頭に敷いていた物じゃないぞ。
では、一体何を自分は枕にしていたのか。
だれが枕を引き抜いたのか。
寝惚けた私はそこまで考えるのが限界で、またすぐに眠ってしまった。
翌朝起きてから、このことを思い出して悩むことになる。
久しぶりに熟睡できたことは救いだったが。
地元の祭りがおこなわれた日。
神社から御輿が出て、町の中を練り歩くという祭りだ。
御輿に神様が入られて、町中の氏子に福を授けに降りていく、ということらしい。
私は氏子の一人として、御輿の担ぎ手に参加した。
親戚が子供を連れて見物に来たのだが、終った後に妙なことを言う。
「お前さんの後に、誰かが見えたんだ。いや、見えたような気がするだけなのかもしれないけど。 それがさ、祭りの跳ねる頃には、まったく見えなくなっていたんだよ」
気のせいですよ、気のせい。そう言い切って話は終わった。
しかし、この祭り以降、私の身に何ら怪しい現象は起こらなくなった。
祭りの前に受けた禊で浄化されたのか、はたまた誰かについて行ったのか。
後者ではないことを望んでいる。
山にまつわる怖い話10